「Funny World 番外編」
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第14話「ダブル・トライアングルの巻」
Section 1
 「しょせんは、サルマネラー!」

 オーロラシューターの運転席で、樽のように太った男が、短い手足を器用にくるくると回しながら叫んだ。シューターは、S字のコースをぎゅるぎゅると音を立てな がら進み、そして建物の入り口で急停止した。ぎゅぎゅっ、かっくん、と。シューターの助手席には、青い顔をした銀縁めがねの男が座っていて、何かぶつぶつとつぶ やいていた。

 「クランクの進入角度及び進入速度は、S字と同じでよいのでしょうか。」
 「んー、しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 要領を得ない回答であるが、これでも一応あの大レース、モンスターレースの完走者だというのであるから、ドライビングテクニックは半端ではないのだろうと助手 席の男は思った。そして、最近は影が薄くなってしまったけれど、もともとは自分が姫のそばに仕えていたわけであり、やはり家柄から言ってもあの青い髪のガキなど よりは自分がふさわしいのだから、シューターの運転くらいできないでどうする?姫の保護者として、ストーカーとして!と思っていた。最後のほうは、自分でも気づ かずに口に出てしまっていたようだ。

 「んー、しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 急停止したシューターに驚いて、建物から人がどやどやと現れた。その中に、ひときわ目立つ長身の男がいた。その、サングラスをかけたひげの男、細長い顔の馬面 男は、シューターに相棒の姿を認めると、ウシシと健康な前歯を見せて笑った。ウシよりも馬だろうとか、ひひーんという鳴き声の方がぴったりというのは、言いっこ なしである。

 「おぉ!?やっちょるな、やっちょるな、相棒!」
 「んー、しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 彼らは、スーパーレースの賞金稼ぎDoKoDoKo団の二人、馬面のポンニュイと樽男のサルボンヌであった。彼らは、前回のモンスターレースで大破したマシン 、文字通り3枚におろした魚の骨みたいなマシン、ボーンフィッシュ号の修理をするために、カール帝国の首都バウムクーベンで、シューターの教官をして、お金を貯 めているのであった。

 終了の鐘が鳴ると、運転席から樽男が、そして助手席から銀縁眼鏡の男がよろよろとした足取りで出てきた。銀縁眼鏡は、礼儀正しく樽男にお辞儀をすると、ホウメ イという名前の書かれた教習原簿に、はんこをもらった。そして、建物の方をくるりと振り返り、眼鏡の位置をくいくいっと直して、他の教官にも会釈すると、市街地 へと続く道に消えていった。何度もこけそうになりながら。彼の背後には、原色ばりばりの文字で、公認カルパッチョ教習所というネオンサインが輝いていた。
Section 2
 2車線道路の端っこに、大きな白いカエルが人間の子供をくわえて座っていた。そのカエルは、大きな口から白い煙をほこほこと吐いていて、くわえられた子供は、 その煙にけほけほと咳き込んでいた。しかし、そのカエル、よく見れば、それは車道の端に止められたオーロラシューターであり、口に見えたのはボンネットらしく、 子供はその煙に耐えて修理をしている作業員らしかった。要するに、道路の端に故障車が止まっているようなのであった。

 「まだ直らないの。」

 そのシューターの後部座席から、不機嫌そうな女の声がした。彼女は、ハイヒールを履いた両足を、運転席のシートの上に載せてふんぞり返ると、つやつやの自分の髪 をもてあそびながら枝毛を探していた。色白で卵形に整った輪郭、すっきりとした目鼻立ちにワンアクセントの左目の下のほくろ、そしてすらりとした体型というこの 美少女は、亡国の姫君シェリル・フル・フレイムであった。

 「うん、もう少しで機嫌を直してくれると思うんだ。」

 早くしないと、マシンよりも彼女の機嫌の方が直らなくなりそうだと思って、愛機フロッガーの調整を行っているのは、黒というよりは青みがかった髪にふっくらと した顔、そしてくりくりお目々の小柄な少年、さかきじょた君であった。彼は、王都バウムクーベン郊外にあるシュトロハイム伯爵邸まで、シェリルの送迎を任されて いたのだが、例によってオンボロマシンのフロッガーが機嫌を悪くしたため、立ち往生を余儀なくされていたのであった。

 後部座席で髪をもてあそんでいた少女は、ボンネットの前で咳き込んでいる少年の方を見つめると、突然はっとした表情になって、シューターの運転席から身を乗り 出して言った。

 「ところでさ、今までずっと気になってたんだけど、じょたって、運転免許証持ってる?」

 気まずい沈黙が流れた。

 「ひょっとして、無免許?」
 「僕は、ほら、13歳って設定だし…」

 星が飛んだ。そして、じょたの言葉は、最後までは続けられなかった。彼は、シェリルにモンキーレンチでたたかれた頭を押さえて、涙目になってしゃがんだ。

 「あっきれた!今まで無免許で私を送迎していたの?姫君の、この、わたくしを!あなたが、田舎のトンデモ国家ヤマトの出身だから、ひょっとしたら子供でも免許 が取れたのかな、と思っていたんだけど。普通そんなことないわよね。それにしても、今までよく捕まらなかったわね?」
 「君の、顔パスだったから…」
 「あぁ…」

 彼女は、シートの背もたれにどさっと倒れ込むと、左手でこめかみを押さえる仕草をして、しばらく動かなかった。が、バネ仕掛けの人形のように飛び起きたかと思 うと、じょたの胸ぐらをつかんで言った。

 「すぐに免許取りなさい」
 「そんなにすぐに取れるかな」

 「取れるかな?じゃなくって!!」

 彼女は、涙目のじょたの首を、背後からスリーパーホールドの要領で容赦なく絞めた。もう、ほんとに呑気なんだから!そして、それでちょっと気持ちが落ち着いた ので、道路際の看板を指差した。

 「さ、読んでみて。」

 じょたは、もうほとんど半べそになりながらも、黄色地に朱文字の、原色ばりばりの看板の文字を読んだ。

 「こうにん、スン…、カルパッチョきょうしゅうじょ。」
Section 3
 教習所のカウンターには、身長2mはありそうな鼻眼鏡のガマガエルが座っていて、左うちわで扇ぎながらコンピュータの端末を操作したり、神妙に座っている教習 生を不機嫌そうに眺めたりしていた。じょたは、あることにおびえながら、そのカウンターに近づいていった。

 「あの、受講の申し込みをしたいのですが。」

 じょたは、今にも消え入りそうな声でガマガエルに話しかけた。ガマは、ずり落ちた眼鏡をくいっと上げると、彼をぎろりとにらみ、机の引き出しから申込用紙を取 り出して、それに記入するように、というように、机を指先でこつこつと叩いた。そして、なおも彼の顔、そして体をなめるように眺め、ゾウのようにしわしわな右手 をにゅっと出した。

 「身分証明書を拝見」

 きた!と、じょたは思った。シューターの運転免許は、満18歳から取得可能である。が、彼はまだ13歳であるから、普通は免許を取得できない。そこで、この国 、カール帝国に入国する際に、宿屋のおばさんに作ってもらった偽造カードを使って、その生年月日では満18歳になるはずなので、それを使ってなんとかしようと考 えたのであった。というよりも、なんとかしないと家には入れてもらえないのだ。

 「…満18歳?ということで、よろしいかしら?」

 ガマガエルは、ほっそりとして明らかに子供の体形のじょたを、幼い顔つきのじょたを、鼻息が聞こえるくらい近くに顔を寄せてまじまじと見つめた。そして、偽造 カードを照明にすかして見ようとしたり、ぺしぺしと人差し指で叩き、軽くしならせてみたりした。

 じょたは、このカードがもともと新婚にして旅の途中で亡くなったという、気の毒な二人が所持していたものなので、カードそのものにはなんら問題ないと思ってい た。写真は貼り替えてあるけど。あとは、自分の姿が18歳に見えるかどうかだ。

 「これ、ちょっとお預かりします。」
 「あぁ!」

 まずい!年齢がバレるのもそうだが、あれは、カール帝国に入国するための偽装とはいえ、じょたがシェリルと結婚していることを示す記念の品であった。もちろん 、ゲートを通過するためだけの偽装で、シェリルに至っては、二度とその点に触れようともしないけど。

 恐らく、偽装がバレたら、あのカードは戻ってこない。彼は、ガマの手からカードを奪い返そうとして、カウンターから手を伸ばしたが、身長145センチの彼(ち なみに体重は40キログラム、やつは100キロはありそうだ。)がどんなに頑張っても、身長2m以上の巨漢からカードを奪い返すことはできなかった。

 「どうしたんだ?プリンセスガードのボウイ。」

 じょたの背後で、誰かがキザなセリフを吐いた。振り向くと、そこには寝癖のついた頭をぼりぼりと掻いている、無精ひげで銀縁眼鏡の男がいた。彼は、ふっくらと したブルーの縦縞シャツに、ダークグレーのスラックスをはき、両手をポケットに突っ込んだまま、じょたの背後に立っていた。そして、あまり目立った行動をとらな いほうがいい、13歳ってことがばれるぞと耳打ちした。

 結局ガマガエルは、じょたのカードの複写を取っただけで、彼にカードを返してくれた。じょたは、ほっとして両手でカードを握りしめた。しかし、この男性はいっ たい誰なんだろう、どうして僕の事を知っているんだろう。

 銀縁は、ホウメイと名乗った。そして、シェリルとじょたのことは、社交界で噂になっているので知ったのだと言った。でも、彼らが住んでいる長屋、ドリムランド を追い出されてしまった8人の王族達、通称ドールズが過ごす、宮殿とは名ばかりの長屋のことをよく知っていたり、モンスターレースでのことを知っていたり、まぁ これは本当に噂になっていたようなのだが、シェリルの子供の頃の話まで知っているなんて、なんだか怪しい人だなとじょたは思った。そのとき、始業の鐘が鳴った。

 「ボウイ、これからは、お互いライバルだ。いろんな意味で、な。」

 ホウメイは、じょたにウインクすると、階段を登っていった。そして、彼は見事に階段を踏み外して、ずるずると滑り落ち、周囲の失笑を買っていた。
Section 4
 「早っ!たったの2日間で免許が取れるの?」

 宮殿とは名ばかりの長屋の応接間兼食堂で、ソファに腰掛けていた少女が言った。この長屋、調度品のたぐいは、それなりに年代を感じさせ、高級な雰囲気を醸し出 しているのだが、いかんせんそれぞれの王族に与えられた部屋数が少ないという問題があった。彼らの部屋にしても、まともな部屋は、多分18畳くらいの広さがある この応接間兼食堂とシェリルの寝室だけといったところで、あとはシェリルの寝室の向かい側に物置、それはじょたの部屋でもあるが、その物置の隣にトイレと、狭く て嫌い!とシェリルが言うバスがあるくらいであった。キッチンは無い。その応接間兼食堂で、ソファに腰掛けてお茶を飲んでいた少女、シェリルは、じょたからもら ったパンフレットを見て驚き、彼女の背後でソファに寄りかかって立っていた、自称ヴァンパイア娘のチャイムは、大丈夫かよと言った。

 チャイムは、じょた達がカール帝国にやってきたときにできた友達で、自分をヴァンパイアだと言い張る以外は、実に健康的な娘であった。また、19歳のチャイム は、16歳のシェリルと13歳のじょたの、お姉さん的存在でもあり、チャイムは二人のことをいろいろと面倒を見てあげていた。ただ、ハンドルを握ると確実に人格 が変わるので、長距離ドライブなどでは、じょたは、なるべく彼女に運転させないように気をつけていた。

 シェリルは、なおもパンフレットの裏表をひっくり返して見ていた。そして、注意事項に気がついてじょたに言った。

 「あのカード、大丈夫だったんだ。」

 あのカードとは、偽造カードのことである。彼女は、さもうまくいったのが奇跡であったかのように、おどけてみせた。

 じょたは、それを無視して言った。

 「カードって言えばね、おかしな人と会ったよ。ホウメイさんって人。」
 「ホウメイ?」

 顔をしかめるシェリル。

 「あんたの男?」とチャイム。
 「ち、がーわよ!」

 チャイムの皮肉に、崩した言葉で答えるシェリル。

 「でも、一応聞いてみるけど、どんな人?で、何か言ってなかった?」

 じょたは、シェリルにホウメイの特徴、寝癖と銀縁眼鏡と無精ひげのこと、そしてあか抜けしたファッションで、眼光は鋭く、自分をボウイと呼ぶようなキザな感じ の人だった事を伝えた。また、階段から滑り落ちたことも忘れずに付け加えた。

 「はははは!そう、やっぱりそんなオチがついたの。」

 シェリルは、体をくの字に折り曲げ、また曲げ伸ばしして、げらげらと下品に笑った。チャイムが彼女を、めっ!とたしなめた。

 ホウメイは、シェリルの元付き人のミスティックであった。彼女が、魔道王国ブリューニェに留学していた頃には、いろいろと世話してやった人らしかった。世話に はなっていないらしい。そして、祖国チェロンが滅んだとき、彼はシェリルのストーカーになったのだ、とシェリルが言っていることは、話半分くらいに聞かなければ いけないな、とじょたは思った。

 「そういえば、いろいろな意味でライバルだって言われたよ。」
 「ふぅん、そうなの。そんな事、言ってたの。」

 シェリルは、そう言うとうつむいた。

 「ライバルって何かなぁ?やっぱり、シューターの運転のこと?」

 例によってニブチンのじょたが言った。

 「ライバルってのは、多分あたしとシェリルみたいなもんさ。」

 チャイムは、シェリルの後に立って、彼女をソファごとそっと抱きしめた。シェリルは、一瞬じょたの方を見て視線をはずすと、チャイムに身を預けたまま苦笑した。
Section 5
 教習の初日は、いきなり筆記試験だった。さすが、二日で免許取得である。この後、シミュレーターによる実習を行い、翌日みっちり実技をやって、その後検定試験 を受けて合否判定ということらしかった。

 「やぁ、来たな。ボウイ!」

 ホウメイだった。彼は、ピンクの教習原簿をうちわ代わりにして、ぱたぱたあおぎながら、今日はグレーのスーツをびしっと決めて現れた。そして、じょたの服装を じろじろと見ると、ふっと鼻で笑った。

 「ボウイ、着る物にもっと気を遣うべきだな。…1ポイント先取!」

 そのとき、じょたは思った。ライバルって、ファッションセンスのことだったのかと。まぁ、当たらずとも遠からずである。彼は、シェリルに買ってもらったダブダ ブTシャツ、でっかい赤のハートマークにドクロ3兄弟が串刺しになった、その辺の彼女のセンスがよく分からないのだけれど、そんなプリントの入ったダブダブTシ ャツを、黄色い半ズボンの上から出して着ていた。じょたは、このTシャツが気に入っていたので、ファッションセンスがどうだとか、そんなことは気にしていなかっ たけれど、ホウメイの服の方が、お金がかかっていそうだし、すっきりとして大人っぽい雰囲気のスーツだし、自分は負けちゃったかなと思っていた。が、本来のライ バルという観点からすると、シェリルに買ってもらったTシャツを着ているじょたのほうが、すでに100ポイントくらい先取しているはずであるが、二人ともそのこ とには気づかないのであった。

 ホウメイは、にこやかな笑顔でじょたに近づいてきたのだが、じょたの持っている教習原簿に気づいて、表情を堅くした。じょたの原簿は黄色であった。ここカルパ ッチョ教習所では、ピンクがオートマチック専門、黄色がマニュアル・トランスミッションの教習という分類になっていた。

 「なぜ、ボウイがマニュアルで、私がオートマチックなのだ…。くっ!1ポイント取り返されたか!」
 「?」

 突然悔しがるホウメイを、きょとんとした表情で見上げるじょたであったが、昨日から気になっていたことがあって、少しお近づきになったことでもあるし、思い切 って聞いてみることにした。

 「ホウメイさんって、もともとシェリルの付き人だったんですよね。」
 「あ、あぁ、そうだとも。」
 「でも、昨日は、社交界で知ったって、言ってましたよね。」
 「あぁ」
 「どうしてなんですか?」

 ホウメイは、じょたが姫のことを呼び捨てにするのが気に入らなかったが、しょせん子供の言うことだと思って無視することにした。しかし、昨日あわててついたウ ソを指摘され、うろたえてしまって、嫌な流れになりそうだぞと思った。

 「うむ、それは、だ。本当のことを、まだ話して良いかどうか、迷っていたからなんだよ。これは、姫の命にも関わる問題で、また、チェロン再興にもかかわる重要 な問題なんだ。」

 我ながら、ナイスな返答だとホウメイは思った。しかし、実際には、彼の質問の答えからは微妙にずれているし、自分でも単なるはぐらかしだと思うし、たかが子供 の質問にうろたえている自分が情けなかった。なぜ、自分は姫の元付き人であったと言えなかったのだ。それを隠してしまったのだ。こんな子供に、劣等感を感じたのだ。

 ホウメイは、じょたに追求されるまでもなく、シェリルのことがずっと好きだった。身分の違いも、年の差もあるから(ホウメイは27歳だ)、その気持ちを表現す ることはできなかったけれど。でも、付き人として彼女を守っていくことができれば、それでもいいと思った。そう、思っていたけれど、身分の違いも、年の差も、人 種が違うことさえも、何も意識せずに接することができる少年が現れた。ショックだった。自分もそうすればよかったと思った。しかし、だからといって、それからも 何も行動を起こせない自分がいた。だから、この子供の質問をはぐらかした。屈折した自分の想いを知られたくないと思って、思わずあんなウソをついてしまった。

 ホウメイは、自分の鬱な気分を払いたかったし、これ以上いろいろと突っ込まれて、嫌な話の流れになるのを避けようと思って、逆にじょたに質問した。

 「姫は、最近は、ご飯をちゃんと食べているかい?」

 これは、ホウメイのジョークである。シェリルが、人一倍、いや、人10倍くらいの大食漢であることは、チェロンのみならず、ブリューニェでも噂されていた。さ すがに、酒乱であるということは、徹底的に箝口令が敷かれているようなのであったが。

 「うん。昨日も、僕の10倍くらいは食べていたね。その後、食器を片付けて戻ってきたら、テーブルに突っ伏したまま眠ってた。疲れているんだ。」
 「それで?」

 ホウメイは、忍びの者を放っていたから、彼らの行動は概ねつかんでいたが、私生活のこまごまとした事まではよく知らなかったので、思わずじょたに話の続きをす るように促してしまったのだが、結局は聞かなければよかったと後悔した。

 「シェリルはね、眠っているのを起こすと殴る…ぐふん。怒るから、いつも毛布を掛けて、そっとしておくんだ。あとは、照明を少し落として、部屋の鍵を確認して 、賊が入ってきたときのために、僕も剣を抱いて部屋の隅で寝たよ。」
 「そうか」

 それは、俺の役目だ、とホウメイは思った。そして、こんな話を自分にするのは、間違いなく自分がシェリルに好意を抱いているということを彼が知っているからで あり、話に対する自分の反応を確かめようとしている、いや、悔しがらせて楽しんでいるに違いないと思った。屈辱的だ。子供のくせに。彼は心の中で激しく毒づいた 。しかし、実際には、ニブチンのじょたは、そこまで思いが至っていないのであった。

 「そうか、それは問題があるな。」しばらく間をおいて、ホウメイは言った。
 「それには、いくつかの問題がある。」と言った。

 「まずは、食事についてだ。たくさんお召し上がりになるのは結構、お元気でなによりだ。しかし、おまえと同じものを食ってるってのはどういうことだ。それに、 その話からすると、おまえは姫と席を同じうしているんじゃぁないのか。身分の違いをわきまえろよ。おまえには、そんな資格は無い。姫は、おまえの友達じゃぁない んだ。」

 「それから、ご公務でお疲れとおまえは言ったな。そのスケジュールは誰が立てている。おまえか?姫、御自らか?いずれにしても、おまえが役立たずだから、姫が お疲れになっているということを忘れるなよ。」

 ホウメイの言葉は止まらなかった。

 「賊から姫を守るために剣を抱いて寝るだと?笑わせるなよ。おまえに剣士の資質があるとでも言うのか?俺が付き人をしていた頃はな、城の剣術指南役から直接の 指導を受け、皆伝の腕前になっていたぞ。そうでもなければ、付き人は務まらんのだ。おまえに剣の資質があるとは、俺にはとても思えんな。おまえが今まで生きてこ られたのは、ただ運が良かっただけだ。」

 そして、ホウメイは、最後の仕上げとしてじょたを慰めにかかった。

 「なぁ、ボウイ。君は、今まで十分頑張ってきたと思う。無い能力を振り絞って頑張ってきたな。でもな、人には分相応ってものがあるんだ。あんまり高望みしても 、自分の能力以上の事をやろうとしても、自分の器には入りきらない。そして、失敗して、周りの人に迷惑をかけてしまう。分かるな。」

 じょたは、ホウメイから目をそらすことなく、まん丸の目でずっと彼を見つめ続けていた。ホウメイは、まだだめ押しが必要かと考えたが、彼の目がぼんやりと赤く なって、うるんできているのを認めると、さすがに良心が痛んだので、彼にさよならを言うと、そのまま試験会場へと向かった。あの様子では、彼の試験は散々なもの になるだろうと思った。いい気味だ、と上っ面で思ってみたが、やっぱり自己嫌悪でつぶされそうになった。
Section 6
 そんな彼らを柱の陰から馬と樽が見ていた。

 「おぉ。ありゃ、あんときの、あのちっこいナビだぜ。相棒。」
 「んー、しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 彼らが、あんときと言っているのは、前回のモンスターレースのことである。じょたとチャイムがシューターごと崖下に転落し、また、ルノー婦警に殺されそうにな っていたところを、彼らが助けたことを言っているのだ。

 「どうやらこりゃぁ、また一波乱ありそうだな。相棒。」
 「んー、しょっしゅねー。ありしょっしゅねー。」

 馬面のポンニュイは、うししと前歯を見せて笑い、樽男のサルボンヌは、どこから取り出したのか、携帯用食料をもぐもぐと食べていた。
Section 7
 夜のとばりが下りる頃、古びた洋館の庭園の一角で、赤のタンクトップに白のミニスカートの女、ミニスカの太ももあたりがざっくり割れた、白のミニスカートの女 と、白いTシャツを黄色い半ズボンの上に出して着た子供が、向かい合って立っていた。

 「さぁ!かかってきな!」

 ミニスカの女は、そう言って少し体勢を低くすると、両足を肩幅より少し広いスタンスに広げ、両手の指先を軽く曲げて前面に持ち上げ、敵に対して左半身で構えた 。自称ヴァンパイア娘のチャイムであった。そして、それを見てあわてて後ずさりした小柄な少年は、じょたであった。

 「うわっ!違う!違うよ、チャイム。」
 「男の子だろ!覚悟決めな!」

 すかさず、じょたのボディに、無防備な左脇腹に、彼女の右回し蹴りが炸裂した。もちろん、かなり手加減しているが、文字通り大人と子供の体格差があるので、彼 にとっては十分過ぎるくらいのダメージが与えられた。うぅ、とうめいて、くの字形に折れ曲がったじょたの体に、さらに連続して攻撃がたたき込まれていく。

 「オラァ!どうした!?攻撃しなけりゃ、稽古にならないゾ!」

 じょたは、おなかを押さえて前屈みになりながら、やっとのことで声を絞り出した。

 「チャイム、…シューター、…シューター」
 「えぇ?」

 チャイムは、じょたに近づいて、彼の背中をやさしくなでてあげた。そうして、呼吸が整ったじょたからよく事情を聞くと、背中をそらして大笑いした。

 「あははははは!ごめん、ごめん!そうか、シューターの練習ね。」

 チャイムとじょたは、庭園の中でひとつだけ点灯しているガス灯の下で、大きな石の上に腰掛けると、今日起きた出来事について、ぽつりぽつりと語り出した。それ にしても、練習につきあってほしいと言って、即座に格闘技の練習を思いつく娘というのも、ちょっと問題ではなかろうか。

 「ふぅん。要するに、この間言ってた、ホウメイとかいうのに、勝ちたいんだな。」
 「うん」

 チャイムは、彼が自分に悩みを打ち明けてくれたことは嬉しかったが、その相談内容は嬉しくなかったし、むしろこのまま彼の頭をひっぱたいてやりたい衝動に駆ら れた。ニブチンめ!そして、彼が自分に対して恋愛感情を抱いていないということは、もともと分かっていたけど、でも、それがはっきりして、ちょっと切なかった。

 「シューターの運転で勝ちたい、ねぇ。」

 チャイムは、腕組みして考え込んだ。ニブチンの彼をどうやって説得するか。彼女は、親鳥が雛にえさを与えるように、かんで含めるように説明するのは嫌だったし 、それは彼のためにもならないだろうと考えていた。シューターの運転技能の優劣勝負じゃないことを理解させて、ホウメイとじょたの、どちらがシェリルにふさわし いか、それを決める勝負であることを彼に気づかせねばならない。

 「私は、そいつのことはよく分からないけど、シューターの運転技能なんて、その人の魅力とは全く関係ないと思うよ。そいつがいいやつなら、技能に関係なくいい やつさ。魅力的なら魅力的なんだろ。逆に、欠点があったほうが、そこがさらに魅力的になるってこともあるし。技能の有無で他人を見下す人は、私は嫌いだな。」

 チャイムは、その先はあえて言わなかった。彼に気づいてほしかった。シューターは関係ないんだろ、もっと大事なことがあるんだろ、ということをである。

 じょたは、はっとして彼女の顔を見上げた。

 「魅力とか、好き嫌いとか、そういうのではなくて、資格というか、資質みたいなものが無いからだめだって。確かに、僕は、あまり役に立っていないかも。」

 チャイムは、思わずじょたをぶん殴ってやろうかと思った。が、ぎりぎりのところでこらえた。ガス灯の下で、自分を見上げる彼の顔が、この上なく愛おしかったか らだ。ええい!こんちくしょー!

 チャイムは、じょたがシェリルに対して恋愛感情を抱いているということを、ちゃんと自覚させたかった。そして、ホウメイがじょたに対して嫉妬しているというこ とにも、気づかせるべきであると思った。そして、この子はこういうことにはニブイと思っていたけど、本当は拒絶されるのが怖いから、本能的に解答に近づくことを 避けているのではないかとも思った。

 そのとき、彼らの周囲にごうっと強い風が吹いた。そして、黒いマントをひるがえして、縞模様の帽子に暴走族みたいな細いグラサンをつけ、薄茶色のチェックのス ーツにステッキを持った、ダンディな?恐らくダンディな中年おやじが現れた。

 「パパ!」とチャイム。

 「おぉう、我が娘よ。若者達よ。青春してるかい。愛し合ってるかい。パパ、今流行の、ちょいワルで決めてみたんだよ。このグラサンが、ちょいワル。がははは!」
 「パパ。お願いだから、ちょっと、あっちへ、行っていて。」
 チャイムは、仁王立ちすると、右手の人差し指をびしっとあさっての方向に突き出し、ワンセンテンスごとに強調して言った。

 「おぉう、すまんチャイム。パパ、二人が心配だっただけさ。けんかするほど仲がいいとは言うけれどね。それに、お客様にご挨拶もまだだった。」
 「あ、こんばんは!」

 じょたは、直立不動で挨拶をした。

 「ふむ、君は素直でいいね。そして、思いやりのある素晴らしい人物だとおじさんは思うよ。君は、大切な人を守るために、娘を守るために、ずっと闘ってきたじゃ ないか。資格や資質なんて、そんなこと何も関係無い。だから、くだらない人の中傷など無視したまえよ。おじさんは、素直で、元気な婿殿が気に入っているんだよ。」
 「パパ!」
 「がははは!ま、あとは若い者同士、好きにしたまえよ!では!」

 そして、ダンディちょいワルおやじは、チャイムのお父さんは、現れたときと同様に、つむじ風とともに去っていった。

 じょたは、このチャイムのお父さんが大好きだった。それこそ、思いやりのある素敵な人だと思った。そして、彼はまたしても、チャイムの家族の一員になってもい いかな、と思ったりしていた。

 じょたは、チャイムのお父さんの言葉を反芻していた。大切な人を守るために、ずっと闘ってきたじゃないか。ずっと?自分が、ずっと旅をしてきた理由。冒険がし たかったから?田舎の町を抜け出したかったから?珍しい物をたくさん見たかったから?彼は、頭をぶるぶると左右に振って、つまらない理由付けを追い払った。

 大切な人を守るために、ずっと闘ってきたじゃないか。でも、自分には、自分は、まだ子供で、守る力も能力も無くて、資格も資質も無いってホウメイさんに言われ て、それで、怖かった。でも、チャイムのお父さんには、そんなことは何も関係無いって言われて、すごく嬉しかった。

 怖い?僕は怖いのか。何が?…それは、シェリルと、一緒にいられなくなる事。それが、怖い。じょたは、床に並べられた正方形が組み立てられて立方体になるがご とく、自分の考えを頭の中で組み立てていった。そして、ホウメイがじょたに嫌がらせする理由も分かったし、チャイムのことも分かってしまい、激しく自己嫌悪した 。僕は、なんて残酷なことをしてたんだ。

 「チャイム」

 じょたは、いつの間にか彼の位置から離れて、彼に背を向けて立っているチャイムに声をかけた。そして、なんと言って彼女を慰めたらいいのかと思って、頭の中の 立方体をくるくると回転させてみた。が、どの面にも解答は書いていなかった。

 彼女は、じょたの方を振り向くと、猫のように鋭く光る眼光を彼に向けた。そして、腕を組んだまま、ゆっくりと彼の方に近づき、彼と接触するくらいに近づいたと き、ニヤリと口元をゆがめ、彼のほっそりとした両肩を力強くつかんだ。ずばん!と音がするぐらいに。

 そのとき、じょたは心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。そして、彼女の目が、今までに見たことも無いように光っていることに気がついて、背筋がぞくりとして 固まった。彼女がヴァンパイアだからなのか、体が硬直して動かせなくなっているのだった。うわ、怒ってる。怒ってるよ。そうだよね、怒るよね。ごめんね。でも、 どうしよう。せっかく自分の気持ちに気がついたけど、もう、遅かったの?許してくれないの?ヴァンパイアだから、血を吸われちゃうの?そして、し、死んじゃうの ?それは嫌だ!彼の肩には、チャイムの指先が、ぎりぎりと食い込んでいた。

 チャイムは、じょたの方を振り向いたとき、彼は彼なりに何か解答を見つけたのだなと思った。そして、自分も、ホウメイのやつをぎゃふんと言わせるアイディアが 浮かんだので、思わず口元がゆるんでしまったのだった。そして、大音量で言った。

 「じょた!とりあえず、その、ホウメイってやつには、きっちりとケジメつけてやらなきゃ。だぜ!だから、明日のシューター勝負、絶対に、必ず、勝てよ!そして 、もう一つの勝負も、ばっちり勝ってるってところ、見せつけてやるんだ!」
 「うん!」

 チャイムは、彼女の真っ赤なシューター、クルセイダー・ツーをぶっとばすと、テールランプを文字通り流星のように流しながら夜の闇の中に消えた。彼女は思った 。じょた、おまえには、シェリルと一緒にいる資格も資質も、十分過ぎるくらいあるんだぜ。しかし、例の物、一体どこに行けばあるかなぁ。
Section 8
 教習二日目の朝、お天気は快晴。ぴちゅぴちゅと鳴く鳥たちの声が耳に心地よく、すがすがしい風が頬をなでて気分は爽快、実にすばらしいレース日よりであった。 カルパッチョ教習所の練習コースの前には、技能教習及び技能検定を受けようとする生徒達が、ぱらぱらと集まってきていた。

 「よう、おはよう。ボウイ」

 例によって、ばりっとしたファッションで決めたホウメイが現れた。彼は、じょたの頭から足下までをじろじろと見ると、やはりひとつため息をついた。

 「相変わらずのファッションだな、ボウイ」
 「僕、このTシャツが気に入っているから、いいんです。」

 じょたは、一瞬だけホウメイの方を見ると、すぐに視線をそらして言った。ホウメイは、彼のその素っ気ない態度が気に入らなかったが、ここは大人の余裕ってやつ を見せておこうと思い、何も気にしていない風を装った。

 「ところで、決心はついたのか。」
 「ええ、つきましたよ。」

 何!?とホウメイは思った。じょたは、彼の方を見向きもせずに、こともなげに言ってのけた。こいつ、まだ言われ足りないのか、もっと直接的に、痛い目を見せて やらなければいけないか、とホウメイは思った。

 「どうするつもりだ」
 「あなたには、関係のないことです。」

 やはり見向きもせずに言い放つじょたに対して、一気に頭に血が上ったホウメイであったが、ちょうどそこへ教官がやってきたので、彼は半ば上げかけていた手を下ろした。

 「おいっす!ちいさいの。また、会ったな。」

 じょたは、朝からちょっと不機嫌になってしまって、仏頂面をその馬面の教官に向けた。そして、前回のモンスターレースの表彰式ときに、チャイムのシューターの 後にいた二人組のことを思い出して、あっと言った。

 「今日は、俺がおまえさんの教官なんだよ。モンスターレース優勝者の運転ってやつを、とくと拝見させてもらうぜ。さぁ、こっちへ来な。」

 馬面は、じょたの腕を引っ張って、コース上に駐車しているシューターの方へ歩いていった。

 ホウメイは、ちっと舌打ちし、あとで覚えていろよとつぶやいた。そして、自分の教官は一体誰なのだろうと、周囲をきょろきょろと見回した。と、気がつくと、自 分のすぐそばに樽のように太った男が存在することに気がついた。樽男の背が低すぎて、分からなかったのである。

 「ま、まさか、またあんたなのか?」
 「んー、しょっしゅねー、まぁ、しょっしゅねー」
Section 9
 朝のチャイムが鳴った。コース上に止められていたシューターは、のろのろと動きだし、練習コースを周回しだした。この、カルパッチョ教習所の練習コースは、ま ずストレートコースが400mほど続き、第1第2コーナーが右にカーブしている。そのあとS字コーナー、ヘアピンと続き、最終のコーナーを曲がって、ストレート コースに戻ってくる。一周大体2キロメートルくらいである。コースの内側には、踏切や、坂道、交差点、峡路のS字やクランクなどが設置されていて、教習所らしき たたずまいを見せているが、外周だけならちょっとしたレースも可能なコースであった。それが一般のサーキットと異なるのは、対向2車線になっていることである。

 「じゃぁ、まず、第1第2コーナーを曲がったら、次のS字に100キロ以上の速度で突っ込んでみろ。」
 「え?」

 じょたは、馬面の言ったことが理解できないでいた。100キロ?だって、コーナーからS字まで100mも無いのに?それより、周りの車はのろのろ40キロくら いで走ってるよ。

 「教官、あの…」
 「ポンニュイでいい」
 「ポンニュイ、さん。前のシューターがじゃまで、スピードが出せないんですけど。」
 「追い越しゃぁいいだろ、君の、テクで。」

 そのころ、ホウメイはのろのろ運転の行列先頭に位置していた。

 「ここは、40キロでよろしいのですかね」
 「んー、しょっしゅねー」
 「走行位置は、車線のこのあたりでよろしいですかね」
 「まぁ、しょっしゅねー」

 ホウメイは、相変わらず要領を得ない回答だと思ったが、ここのコースは車線が広いし、速度を出してくるシューターはいないし、しかもオートマチックの運転だか ら、それなりに走れば大丈夫だろうと思っていた。しかし、彼のそんな予想を裏切って、彼のシューターの右側を、ものすごい加速で追い抜いていくシューターがあっ た。そして、彼は見た。その急加速のシューターの運転席に、あの憎ったらしい、青い髪のガキが乗っているのを。

 「こ、ここは、40キロでしたよね」
 「んー、しょっしゅねー」
 「でも、今のシューター、100キロ以上出してますよね」
 「まぁ、しょっしゅねー」

 だめだ、こいつはだめだ、とホウメイは思った。そして、彼が見ている間に、急加速のシューターは、全く減速せずにS字カーブに突入していった。

 「そら、100キロ!」
 「よし!いいぞ、いいぞ!」

 じょたは、タイヤをぎゅうぎゅう言わせながら、S字カーブをアウト・イン・アウトで走り抜けていった。対向車線もめいっぱい使いながら。

 「ぼうや」
 「じょたです!」

 じょたは、アドレナリン全開になって、噛みつくような口調になっていた。

 「あぁ、じょた。」
 「なんですか!」
 「この次は、対向車線を使わないで行ってみてくれ。」
 「わかりました!」
 「ははは、もう少しリラックスしろよ〜」
 「はい!」

 ホウメイは、いつの間にかじょたのシューターと同じラインを走行していた。口惜しいが、今は人のまねをして覚えていくしかないと思っていた。

 「運転は、しょせん猿まねら」樽男のサルボンヌが言った。
 「ちっくしょぉ〜」

 じょたのシューターが、ストレートコースに入ってきた。最終コーナーが逆カントになっていてびっくりしたが、なんとか吹き飛ばされずに曲がりきった。

 「ファーストラップタイム、1分30秒ジャストか。ふふ、だっせぇな。」

 馬面のポンニュイが、手元のストップウオッチを見ながら言った。じょたは、その言葉にカチンときて、さらにアクセルを踏み込んだ。ストレートコースだけに、速 度がぐんぐん上がっていく。120キロまで出たところで、コーナーが近づいてきたので減速した。

 「俺なら、あのまま行ったかなぁ」
 「むっ」

 うっさい!とじょたは思った。が、確かに、チャイムならこれ以上の速度でもコーナリングしたろうと思った。それで、彼女の運転を思い出しながら、車体を流すよ うにして次のコーナーを曲がってみた。ぎゅるぎゅるとタイヤが鳴った。そして、そのとき、自分の少し後に迫ってきているシューターがあるのが見えた。それは、ホ ウメイのシューターであった。

 「ようし、だんだん良くなってきたぞ」
 「んー、しょっしゅねー、まぁ、しょっしゅねー」

 ホウメイは、一周して大体のライン取りを覚えたので、今度はどこでじょたのシューターを追い越したらいいか、それを考えながら走ろうと思った。彼の額や首筋に は、大量の汗が流れていたが、そんなことは全く気に掛ける様子もなかった。
Section 10
 宮殿とは名ばかりの、ドールズの長屋の前に、1台の真っ赤なシューター、チャイムのクルセイダー・ツーが止まっていた。この長屋は王族専用なのだが、こんな高 価なシューターを持っている人は、この長屋にはひとりもいなかった。

 「シェリル、邪魔するぜ。」

 ノックもそこそこに応接間兼食堂に入り込むチャイムだったが、部屋の中は空っぽだった。やれやれ、鍵もしないでどこに行っちまったんだ。彼女は、寝室やトイレ 、バスなども覗いてみたが、部屋はもぬけの殻だった。そして、彼女は、他の王族も訪ねて廻ったが、無礼者!だの、くせもの!だの言われたので、早々においとます ることにした。

 「まったく、どこ行っちまったんだ。おまえがいないと、最後のツメが甘くなるっていうのに。」

 チャイムは、シェリルへのおみやげを小脇に抱えながら、古びた階段をどたどたと駆け下りていった。
Section 11
 「へぇ、ホウメイがねぇ」

 と言って、ふふふと笑っているのは、チャイムが探しているシェリル・フル・フレイムその人であった。彼女は、日の光が差し込む窓辺に腰掛けて、レースのカーテ ンから石畳を歩く人をこっそり眺めたりして、兄であるメリルの話を聞いていた。

 「ま、あんちゃんとしてはな、おまえが本当に幸せになってくれれば、それでいいんだけどな。」
 「ふーん」

 メリルは、広い世界を知りたくて、また王族の暮らしが面倒くさくて、若くして国を飛び出していた。そして、彼が国を出ている間に、彼の国は竜族の侵略を受けて 占領されてしまった。そこで、正当な血筋である彼は、国を取り戻すべく、ちりぢりになってしまった人材を見つけ出してレジスタンスを組織し、反抗の機会をうかが っているのであった。

 「やっぱり、あの青い髪の?」
 「うーん」

 シェリルは、窓辺に座ったままうつむき、足をふらふらとさせながらほほえんでいた。

 そのとき、部屋の隅で水晶玉を見つめていた女性が声を上げた。

 「シェリル様、お部屋に侵入者です!」
 「なんですって!?誰かしら?それとも、泥棒?」

 「大柄な、女です」

 シェリルは、水晶玉を横から覗いてみた。しかし、彼女の目には、水晶玉の中に、この部屋の様子が映っているようにしか見えなかったので、さらに問いただした。

 「ひょっとして、その人は、ヴァンパイアじゃないかしら?」
 「…いいえ。彼女は、…人間、と思われます。赤毛の女性です。見たこともない、真っ赤なシューターに乗っています。」

 「あぁ、それは、きっとチャイムだわ。どうしたのかしら。」

 シェリルは、とりあえず訪問者が泥棒のたぐいではなかったことにほっとした。

 「何か、急いでおられるご様子です。」

 シェリルは、ここにいても新たな縁談を紹介されるだけのような気がしていたし、何か嫌な予感がしたので、すぐに彼女に会ったほうが良さそうだと思った。

 「誰か、私をチャイムの家まで、シューターで送ってくれないかしら。」
Section 12
 夕暮れが近づいてきていた。チャイムは、道路の端にシューターを止めて、ハンドルにもたれていた。彼女は、シェリルが出没しそうなお店を片っ端から当たってい たのだが、それらは全て空振りに終わっていた。助手席には、昨晩やっとのことでチャイムが見つけた、例のものの包み紙がちょこんと載っていて、それがとても空し かった。

 「じょた、おまえも運が無いのかな。あたしと同じで。」

 そのとき、彼女のシューターの隣に、まるでドアが接触するかのごとく、急停止したシューターがあった。彼女のささくれだった気持ちに、ブレーキ音がざわざわと さざ波を立てた。くそ!誰だ!チャイムが顔を上げ、ガラス越しにらみをきかせると、その向こうでお目当ての顔が、にこにことほほえんで、そして手を振っていた。

 「はぁい、チャイム。私をお捜し?」

 ガラスの向こうのチャイムは、一瞬惚けた顔をしていたが、すぐ我に返ると、彼女をシューターから引きずり出した。そして、有無を言わさず彼女の真っ赤なシュー ターに押し込んだ。シェリルの護衛についてた、若い男女は、何事かと思ってチャイムにつかみかかったが、チャイムの腕の一振りで二人とも吹き飛ばされた。

 「さぁ!脱げ!!」
 「えぇ!?」

 シェリルは、あっという間にチャイムにシューターの中で服をひっぺがされた。

 「何よ、何するのよ。」
 「いいから、これを着るんだ。」
 「これ?あぁ、これは…」
 「そして、今から急いでじょたのところに行く。とばすから、何かにしがみついてろよ!」
 「え?ちょっと待って。あたし、まだ着替えてない!」
 「動いている間に着替えな!」

 そう言うが早いか、急発進したシューターは、道路でスピンターンした。シートベルトもしていない、着替えも済んでいないシェリルは、シューターの助手席でひっ くり返っていた。
Section 13
 もう、どれくらいの時間走っているのだろうか。何周走ったのかも覚えていない。しかし、空が朱色に染まってきたということは、もう夕暮れだということ。そして 、朝から始めたんだから、少なくとも8時間くらいは走っているのではないか、とじょたは思った。しかし、8時間経過しようと、10時間だろうと、気を抜くわけに はいかなかった。彼のシューターのすぐ後には、ぴったりと例のシューターがくっついているからである。そもそも、これはシューターの教習なのに、どうして耐久レ ースみたいなことをしているのか分からなかった。でも、チャイムと約束したとおり、絶対、必ず、勝つ!

 予想以上の健闘だとホウメイは思った。自分自身のがんばりにご褒美をあげたい。そして、そのご褒美は、美しい姫の口づけで決まりだ。彼は、最終コーナーにさし かかる前方のシューターが、速度を落とし始めたのに気がついて、その内側から追い抜かんと速度を増した。が、彼は、疲れていたせいなのか、そこが逆カントである ことを忘れてしまった。

 夕暮れのカルパッチョ教習所に、真っ赤なシューター、クルセイダー・ツーが、猛スピードで突っ込んできて、そして止まった。コースを走るシューターを飽くこと なく眺めていたギャラリーも、この突然の侵入に驚いて注目した。しかし、そのシューターの中から、美しい女性が二名現れたので、もっと注目することになった。2 台のシューターが接触したのは、まさにこのときであった。

 じょたのシューターの内側に進入しようとしたホウメイのシューターは、逆カントのカーブにはじかれ、遠心力で道路の外側に転がった。そして、そのボディは、じ ょたのシューターに受け止められる形となり、そして止まった。

 「この勝負、ドロー!」

 馬面のポンニュイが、そんなことを言っていた。うっさい!とじょたは思った。そして、とりあえず一度も追い抜かれることがなかったんだから、自分の勝ちだと思 うことにした。彼は、シューターの起動スイッチをオフにすると、道路に降り立った。そして、建物のほうからゆっくりと歩いてくる人影を見たとき、彼の胸の中で何 かがぐるぐると動き、そしてその声を聞いたとき、自分はこのために生きているんだと思った。

 「じょた」

 シェリルは、赤いハートにドクロ3兄弟が串刺しになったプリントの入ったダブダブTシャツを着て、じょたとおそろいのTシャツを着て、彼のもとに歩いてきた。 彼女の後では、チャイムが自分のシューターに寄りかかりながら、彼らを眺めていた。じょたは、嬉しくてシェリルを抱きしめたいと思ったが、次の彼女の一言で動作 が凍りついてしまった。

 「どう?免許、取れた?」

 じょたはうつむき、そして上目遣いにシェリルを見ると、苦笑した。

 「え、と、…ドロー?」

 ホウメイは、回転して、ひっくり返った亀のようになったシューターからはい出たとき、目の前の光景に呆然とした。あの、趣味の悪いTシャツを着たシェリルが、 目の前にいたからだ。

 「なに!?ペアルックだと」

 彼女は、じょたにスリーパーホールドをかけていて、じょたは無抵抗でぐったりとしていた。かと思うと、彼女は彼のほっぺたをつねって、ぐいぐい引っ張ったり、 頭をこづいたりしていた。それは、ペアルックを着た恋人達が、じゃれ合っているようにしか見えなかった。

 「ふっ、このホウメイ、試合に勝って勝負に負けたか。」
 「あー、おっさん、おっさん。ほんとは試合もあんたの負け。こんな、亀みたいにひっくり返されてんだから。うしし」と馬面のポンニュイ。
 「んー、しょっしゅねー、まぁ、しょっしゅねー」と樽男のサルボンヌ。
 「完敗だぁ!」

 オレンジ色に染まった空の下、ペアルックの少女は、なおも少年にスリーパーホールドをかけていたが、それは彼をずっと抱きしめているようにも見えるのだった。
おわり
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