「Funny World 番外編」
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第1話「じょた君の受難の巻」
 危険だ、と僕は思っていました。こんな場所を彼女と歩くのは、大変危険な事だと思っていたのです。僕は、なるべく周囲の風景を見ないようにして、自分の前を胸を張って 歩いていく彼女の背中を眺めることにしていました。彼女の髪の毛が猫じゃらしのようにするすると左右に揺れているのを眺めて自分自身に催眠をかけ、白っぽい石柱がずっと 並んでいるのを見ないようにしていたのです。でも、ひょっとして彼女が何かに引っ張られているのではないかという可能性もあって、やっぱり凄く危険だなぁと思っていまし た。
 「なかなかクイーンズ・ポートにたどり着かないわねぇ。」と前を歩く彼女は言いました。そこは、見渡すかぎり高さ1mくらいの石の柱が整然と並んだ、古代遺跡のような場 所でした。僕は、このような地形が、数千年、あるいは数万年の永い年月をかけて、風雨によって形成されることを知っています。雨が柔らかい土を削り、風が削り取った土を運 び、このような不思議な地形を形作るのです。図書館の写真集でも見たことがあるんです。でも、ここは違うと僕は思いました。まず、あまりに石柱が整然と並びすぎています。 物差しで計ったかのように同じ間隔で石が並んでいるのです。そして、しばらく歩いたとき、石柱に紋様がついていることを発見して、その紋様が明らかに文字であり、人間の名 前である確率がかなり高くて、数字は年号を表しているんじゃないか、いや絶対そうだ!という事に気がついて寒気を感じました。つまり、ここは単なる古代遺跡ではなくて、ど ちらかというと古墳群だったのです。
 白い金属の胸当てのついた革鎧を着た髪の長い少女、シェロンは、罰当たりにもその石柱の上にひょいと飛び乗ると、手を額に当てて遠くを眺めました。「私のカンだと、絶 対こっちの方向だと思うのよ。そう思うでしょ、じょた。」と言っている彼女が見ている方向には、ただずっと石柱が続いているだけでした。君のカンには恐れ入った、と僕は 思いましたが、とてもそんなことは口に出せなかったんです。そもそも街道を外れて、絶対こちらの方向に近道がある、という彼女のカンに従ったのが間違いであったのですが 、根拠不明な自信満々の発言につられてしまう自分も悪いのだと思うと文句も言えませんでした。
 しばらく歩くと広場があって、その中心には何本かの樹木に囲まれた井戸がありました。樹木は青々とした葉をつけて、その下に真夏の日差しから逃れることのできる、魅力 的な木陰を作っていました。僕は、冷たい水も飲みたかったし、日陰で休んでいきたかったのですが、さっきから腕や背中にそわそわとした風、不気味な寒気を感じていたので 、近づくことをためらっていました。樹木の葉っぱは、全く微動だにしないというのに風を感じていたからです。僕は、その井戸になんだかいやな印象を受けていましたが、喉 が渇いていた僕は結局井戸のほうに近づいていきました。そして、井戸を覗き込もうとしたとき、不意に目の前に人が現れたので、てっきりアレ、だと思って激しく驚きました 。「うわあぁぁ!」「どうしたの!?」シェロンもすぐに駆けつけてきました。やっぱり彼女も、異様な雰囲気を察知していたのかもしれません。
 「大丈夫ですか?」僕の目の前には、水汲みをしている15,6歳の少女がいました。太陽の光を浴びて白く輝く頬や腕は、とても幽霊のそれとは思えず、まぁ、もし幽霊だ ったとしても、こんなにかわいければよいかなぁ、と思ってしまうようなかわいい女の子でした。「どうしたのよ。」シェリルがやってきました。彼女は、水汲みの少女に見と れて座り込んでいる僕にけりを入れると、僕の足を踏んづけて水汲み少女に話し掛けました。「この先に街があるのかしら?私たちは、クイーンズポートの港町に向かっている のだけれど。」「はい、街はありますが、クイーンズポートって、どこのことなのでしょうか?」どうも彼女は、その港町を知らない様子です。確かに、あの港町は寂れてしま っていて、最近では海賊のねぐらになっているとか、幽霊に乗っ取られてしまったとか、悪い噂しか聞かないのも確かでした。僕は、彼女がガンマリング内にある、知られざる 小さな集落の住人に違いないと思いました。そのとき、僕の足を踏んづけていたシェロンの足が、錐を差し込むようにぎりぎりっと踏みつけられました。「ほら!聞いた。やっ ぱり正しかったでしょう。」彼女は勝ち誇ったような表情を僕に向けました。僕は、何が、どう、正しかったのか良くわかりませんでしたが、どうやらクイーンズポートに到着 する前に、知られざる集落を訪れることになりそうだなと思ったのでした。
 「僕はじょた。これからクイーンズポートに向かって、その後オマチ城下町に向かうつもりなんだ。」僕は、シェロンの足の下から逃げ出すと、体の埃をほろいながらそう言 いました。「私はチャイムと申します。この先にある小さな集落に住んでいます。」やっぱり、と僕は思いました。彼女が言っているのが、噂に聞いていた知られざる集落のこ とだと思うと、さっきまでの怖さも吹き飛んでワクワクしてきました。僕のそんな態度が気に入らないのか、シェロンは目を細めて僕を見ています。睨んでいると言うべきでし ょうか。「ねぇシェロン、とりあえず今日はその街に行って休息を取って、明日クイーンズポートに向かおうよ。今度は街道沿いに行けば迷わないから。」はっ、と僕は気づき ました。最後の迷うというのは余計だったかも。
 「ちょっとお待ちください。それは困ります。私共の集落へいらっしゃるのは困るんです。」「どうして?」シェロンが腕を組んでチャイムのほうを振り向きました。「私た ちの集落は、外界との接触を避けているのです。理由を申し上げるわけにはまいりません。昔からのしきたりなのです。」そうだろうな、と僕は思いました。知られざる集落と いうのは、オマチ高原に昔から住んでいた土着の住民で、秘密の魔道儀式を受け継いでいるという噂だったからです。「それで、大変申し訳ないのですが、私とここで出会った という事は内密にしていただきたいのです。それと、失礼ですが、出発は夜まで待っていただきたいのです。」
 「何ですって!私たちだって急いでいるのよ。その、ナントカという集落なんて興味ないわ。じょた、もう出発するわよ。」そう言うと彼女は、さっきとは明らかに異なる方 向に歩いていこうとしていました。「ちょっと待って。」「何よ、あの娘の肩を持つのね。」「いや、違うよ。そっちのほうだと、もと来た方向に戻っちゃうよ。」「知ってる わよ!そんなこと!」そう言うと、彼女は顔を赤らめて、井戸の向こう側へ歩き始めました。
 しばらく歩くと、見覚えのある場所にたどり着きました。樹木に囲まれた井戸のある広場です。「ここは、なんだか似たような場所が多いのね。」とシェロンが言いました。 僕は、明らかにさっきの場所に戻ってきていると思いました。シェロンは、ちょっとおっちょこちょいなところがあって、今回のように道を間違えることは良くあるのですが、 それにしてもほとんど一直線で歩いてきて、もと来た場所に戻るというのはおかしいです。いつのまにか真夏の太陽は地平線の下に沈みかけ、あたりは夕闇に包まれていました 。どうも、非常に危険なパターンになりそうでした。野宿するのはかまわないのです。僕が彼女を見守って、一晩中起きているのだってかまわないのです。「じょた、私が最初 の4時間見張りをするから、あなたはその次の見張りをお願いね。」といわれて、最初の4時間というのにキャンプ設営の時間と夕食の時間が含まれ、次の見張りが朝までだっ たとしてもかまわないのです。要は、ここが古墳群イコール墓場であること、彼女の体質がゴースト系の魔物を呼び寄せるということ、つまり招かれざるお客様がいっぱいやっ てくるという事が問題なのでした。
 「仕方が無いわね。今日は、ここでキャンプにしましょう。夜の見張り番は、私が最初の4時間を受け持つから…」「はい、わかりました。」僕たちは、いや僕は、背嚢に背 負った大量の荷物を地面に並べると、食事の支度をし始めました。そのとき、またしても井戸の影から人が現れて、僕はアレかと思って驚いてしまいました。「うわあぁぁ!」 それは、例の水汲み少女チャイムでした。「やっぱりここに戻ってきてしまったのね。ここは、私たちの仲間の魔道がかけられているので、決まったパターンで石柱の間を通り 抜けないと、ずっと抜けられないのよ。」そういう事は最初に言ってほしかった、と僕は思いました。「やっぱりね、私が道に迷うなんておかしいと思っていたのよ。」とシェ ロンが言っています。僕は、それはどうかなと思っていましたが、口には出しませんでした。
 僕たち三人は、焚き火にあたりながらいろいろな話をしていました。周囲はもう闇に包まれていて、焚き火の明かりの当たる範囲から外は何も見えず、見えないはずですが、 時折遠くのほうで灯りがチロチロと動いているのが見えたような気がしましたが、気にしないことにしました。「じょた、これ、捨ててきて。」というと、彼女は皿の上に山盛 りになった鳥の小骨を僕に渡しました。相変わらずの大食漢ぶりです。僕も結構いけるほうだと思うのですが、育ちが違うのか、鍛え方が違うのか、ただ胃袋がでかいだけなの か、彼女には全くかなわないのです。僕の背嚢の荷物の70%は、彼女の食料といっても過言ではないでしょう。もっとも、そんなことを彼女に言ったら、彼女の128回連続 攻撃を食らうでしょうが。僕は黙って彼女から皿を受け取ると、真っ暗な石柱群のほうへ歩き出しました。ここが墓場だと知っているせいか、一人で暗闇に向かうのはちょっと 抵抗がありました。そんな僕の気持ちを察してくれたのか、背後からシェロンが声をかけてくれました。「ちゃんと穴を掘って埋めるのよ。」僕は、穴だけは掘りたくないなと 思いました。ここが墓場だと知っているせいか。
 おや?と思いました。すでに地面に穴が開いていたのです。よし、ここにゴミを捨ててしまおう。と思って、お皿を傾けると「もったいない」という声が目の前の暗闇から聞 こえてきました。僕は、思わずまた大声を出しそうになったのですが、さすがに3回目ともなると慣れてきたためか、ぐっとこらえることが出来ました。背後では、女の子同士 恋愛の話などで盛り上がっているようでしたから、邪魔をすると128連続攻撃です。「もったいないのぅ」という声がまた聞こえてきました。今度は僕の右となりからです。 ごそごそという音から、反対側にもお客様がいらっしゃるようでした。僕は、ゆっくりと後ずさりして、焚き火のほうへ戻っていきました。ぱきぽき、ぱきぽきという音が、目 の前の暗闇から聞こえてきます。あれを食べていらっしゃるようです。僕は、真夜中に、墓を掘り返して食い物をあさっている、という彼らの行動から、チャイムさんの集落の 皆様であるとはとても考えられず、恐らく10中8,9アレであろうなぁと思っていました。そして、それがもし本当だとすると、こんな闇の中で彼女たちをかばって戦闘をす るのは凄く不利だから、展開した荷物はもったいないけれど、高価なテレポートアイテムを使用して脱出するしかない、と思いました。
 「シェ、シェロン。で、た、でた。よ。」「ん、何が?」シェロンは、相変わらず肉片と格闘していて、皿の上に載っている残骸の分量から、明日の僕の荷物は相当軽くなり そうだぞと思いました。「モンス…」まで言いかけて、僕の言葉はごくりと飲み込まれてしまいました。彼女のお隣に、いらっしゃったのです。赤銅色の肌、牙をむき出した顔 、ちりじりの頭髪は黒だか茶色だか、白いのが混じっているか、とにかく頭がまだらでぼさぼさのお客様が数名いらっしゃったのです。明らかにアレ、墓場荒らしの、腐肉食い の魔物、グールです。「じょた、何が出たって?」とシェロンは無邪気に尋ねてきました。「も、もも、もん、…ももんが。」「まぁ、こんなところにモモンガがいるんですね 。」とチャイム。彼女たちは、このお客様が人間でないことにお気づきでないようなのです。
 僕は、モグモグと食物を平らげるシェロンの隣に腰掛けて、チャイムとグールたちが話をしているのを確認すると、彼女にそっと耳打ちしました。「あの、お客さんはヤバイ 人だよ。」「じょた、人を見かけで判断してはダメ。あなただって、見かけは何のとりえもなさそうだけど、魔道の能力はそこそこじゃない。きっと、他にもいいところはある と思うし。」いや、あのお客様は人ですらないんですけど。それに、ここにくるまでにグールとは何回も戦闘になっているというのに、どうして気づかないのだろうと僕は思い ました。「シェリル、あの人たち間違いなくグールだよ。」と僕が言うと、彼女はぴくっと動きを停めると、僕の話を無視するかのように、目の前のブツを攻略し続けました。 「そう。もちろん、知っていたわよ。」本当ですか?「知っていたからこそ安心していられるのよ。」どうして?僕は、言葉にならない言葉を心の中で発して、視線をちらちら とチャイムたちの方に向けていました。シェロンは言葉を続けました。「じょた。グールはね、腐肉を食らうのよ。すでに死んでしまった人間や動物の肉を食らうのよ。だから 、生きている人間には興味が無いでしょうし、食べられることはないわ。」僕は、シェロンの言葉にがっくりすると、こう言いました。「彼らにとって、えさが生きていようが 死んでいようが問題無いんだよ。だって、生きていたら殺してから食べれば済むことじゃないか。」またシェリルの動きがぴくりと止まりました。そして、今度は僕の顔をまじ まじと見つめるといいました。「どうしよう?」
 そのとき、チャイムのほうで野卑な笑い声が上がったので、僕たちはびくりとして身をすくめました。「じょたさん、グルーさんが飲み物をご馳走してくださるそうよ。凄く おいしい飲み物。」飲んでいらっしゃる。すでにいい感じに酔っ払っているチャイムは、じょたに杯を勧めるとトマトジュースのようなお酒をついでくれました。なんだかそれ は、血液そのもののような気がして飲む気にならないので、「あ、あの、僕未青年ですから。」と言って断りました。すると、チャイムは僕からグラスを奪い取ると「こんなお いしいお酒を飲めないなんてかわいそう。きゃははは。」と言って、真っ赤なトマトジュースをぐいっと一気に飲み干してしまいました。僕はそのとき、このチャイムという娘 がヴァンパイアの家系ではないかと一瞬疑い、知られざる集落の住民というのは吸血鬼の一族なのではないか、外界からの訪問者を閉ざしているというのは、つまりそういう事 ではないかと思ってしまいました。そして、それはかなり確信をついていると思われるのです。
 「じょた、どうするのよ。」さっきとは打って変わって、青白い顔をしたシェリルが、震える声で僕に耳打ちしてきました。ふふ、それ見たことか。僕の言ったことは正しか っただろう、と得意満面で言いたかった僕ですが、この場合僕自身も被害者になってしまうわけで、手放しで喜べる状況ではありません。「じょた、あなたの魔道に銀の涙って いうのがあったわよね。あれは、アンデッド系に有効な魔道だったはずだわ。あれを使って、ここらのグールを全滅させましょう。でも、困ったわ。銀の涙は、術者の正のエネ ルギー、体力を絞り出して負のエネルギーに放出する技でしょう。ここにいる全部のグールを倒すためには、あなたの体力を10回くらいカラにしないと足りないと思うの。で も、復活の実は3つしかないから、3回しか生き返させられないのよ。」僕は死ぬ前提ですか!?それに、…ここら?僕は、今までチャイムと話をしているグール達2,3体し か気づかなかったのですが、忘れてはいけませんでした。僕がゴミを捨てに行ったときにも、周囲に何体か存在していたのです。「仲間を呼ぶって言ってたのよ、あの人たち。 」僕たちは寄り添いながらそっと周囲を見回しました。すると、闇の中に2つの黄色い物体がペアになって光っていました。ワンペア、ツーペア、…光を発する物体は何体も、 何十体もいることが分かりました。「なぬ、ごそこそしゃべっとるんやぁ。」グールの一体が、よだれを垂らしながら僕たちに話し掛けてきました。びくり!「ふふふ。この人 たちはね、恋人同士なのよ。だから、いつもいっしょなの。あの世までも、ね。」とチャイム。「そ、そうなの、私たち恋人同士で旅をしてるんです。」と、とりつくろうシェ ロン。彼女は、僕の頭を震える手で抱きかかえると、引きつった顔でふふふと笑いました。僕は、彼女のフローラルな香りに一瞬うっとりとしましたが、風に乗ってはこばれて くるグール達の腐臭に、あっというまに現実に引き戻されました。
 僕は、半分うっとり、半分重たい気持ちになりながらも、事態の打開策を考えました。「シェロン、テレポートアイテムを使うんだ。」僕は、もうそれしかないと思っていま した。「だめよ。だって、あれは行き先が決まっているんだから。テレポートブロックがかけられた場所にはテレポートできないわ。それに、もしあのアイテムが使えたとして も、私あなたを抱えたままテレポートする自信がないわ。」僕は荷物と一緒ですか?「だめよって、なんだぁぁ。」口の裂けたグールが言いました。「え?あ、あの、…こんな ところじゃダメ、って言ったのよ。ほほほほ。」とシェリルは言うと、僕の頭を鋭くパシーンと叩きました。僕は、フローラルな香りに名残惜しさを感じながら、せめて死ぬ前 に鉄の胸当てを外しておいてほしかった、と思って、しぶしぶ彼女から離れました。完全に現実逃避です。
 「ようし!」突然シェロンが立ち上がって言いました。「これから100物語をしましょう。」この娘、百物語の意味が分かっていて言っているのでしょうか?「うぉぉう」 「ぐふぅー」という声が周囲から発せられました。その声が、賛同を表しているのか反対しているのかは、僕には分かりかねました。「それ、面白そうね。」チャイムは賛成派 のようです。僕は、シェロンの手を引っ張って、耳に口を近づけていいました。「シェロン、百物語って知っているのかい?」「えぇ、もちろんよ。夏の夜中に集まって、それ ぞれがとっておきの話をする、アレでしょう?こういう話ならグール達も興味があると思うのよ。そして、朝までお互いの話にくぎ付けにさせればこっちのものよ。あなたの銀 の涙で…3回とも生き返らせてあげるから、ね。」やっぱり僕は死ぬ予定ですか?「じゃぁ、私から行くわよ!」シェロンは、そう宣言すると立ち上がり、グール達をにらみつ けると話し出しました。
 「…あれは、私がブリューニェ共和国連邦に留学、いえ、旅行したときのことです。大陸横断鉄道の王族専用、…列車には乗りたくても乗れないので、やむなく特S級クラス のコンパートメントに乗っていました。お付きの、…同行者の友人とおしゃべりをしながら、お茶を飲んでいるとき、それは起きました。なんてこと!茶柱が立ってる!?凄い でしょう?私、茶柱が立つお茶なんて初めて飲んだのよ。それで、きっと何かいいことがあるって思ってわくわくしていたら、結局何も起きなくて。」シェロンはうつむいてし ょんぼりしています。僕を含めて、聞いているグール達もしーんと静まり返り、どんなリアクションをとってよいのかとまどっていました。ある意味、当初の目的を達成してい るようですが、この話で朝までもたせるのは、かなり無謀な賭けだと思いました。「シェリル。今の、どの辺が百物語だったの?」「えっ!私のとっておきの話なんだけど?」 どこが?そして、やっぱり百物語の意味を理解していなかったようです。「うがぁぁ!」「ふぉおおおぉぉ!」突如グール達が雄たけびを上げ始めました。いかーん!「では、 次に僕が行きます!」僕は、記憶の中を駆け巡り、百物語にふさわしい記憶を呼び出しにかかりました。それは、まるでアレな時に見る、走馬灯のようでした。
 「この話は、僕がまだオマチ城の小学校低学年の頃の話です。僕の学校の中には、開かずの間というのがありまして、もう10年以上開けられたことの無い扉があるんです。 ある日、僕と仲良しの友人二人で、その扉の中に入ってみようということになりました。ふとっちょのどんじゅうろうという友達が、体当たりしてその扉を開けると、部屋の中 には埃っぽい空気が充満していました。気が強い、そしてけんかも恐ろしく強い女の子、なーこがさっさと部屋の中に入り、カーテンを開けて部屋の中に太陽の光を入れました 。すると、いたんです。部屋の隅にヴァンパイアが!そのヴァンパイアは、突然の来訪者に驚き、そしていきなり太陽の光を当てられる、というアクシデントに見舞われ、何も 抵抗することなく灰になって消えていきました。」僕がそこまで話をしたとき、周囲のグール達がさっきよりも大きな雄たけびを上げました。チャイムもムッとした顔をして、 額に青筋を立てながら僕を睨んでいます。そのとき、僕の頭にシェロンのするどい平手がパシーン!と飛んできました。「何なのよ!その話は!」「百物語って怪談話をするの で、これでいいはずなんだけど。」「ヴァンパイアなんて、ジャストミートしすぎでしょう!!」そして、もう一発鋭い平手が頬に入りました。パシーン!と。
 チャイムは、騒ぎ立てるグール達を制すると、座り込んだ僕たちを見下ろして話を始めました。「では、今度は私がお話いたしますわ。」なんだか彼女、最初に会ったときと 別人のようです。下から炎の明かりを受けた彼女の瞳はオレンジ色に輝き、肌の色も昼間見たときと違って赤くなっています。もっとも、肌が赤くなっているのは、若干、かな り、大量に入っているアルコールのせいなのかもしれませんが。
 「むかし、昔のお話です。」彼女は、ゆっくりと話し始めました。「昔、ある地方で大きな戦争がありました。数万の軍勢が正面から激突したのです。戦闘は1週間にも及び 、双方半数以上の死者を出してようやく兵を引きました。野原に広がった戦士たちの死体は、誰が弔ってくれるでもなく、野ざらしにされていました。そして、しばらくすると 、そこはまた別の戦場となったのです。」僕は、その話を聞いて、ドキドキしてしまいました。その戦争があった場所と言うのは、ひょっとして、ここ?「野ざらしにされた戦 士たちの死体は、暗黒の魔道力場を受けて復活し、勿論負の生命体としてですが、復活してまた戦争を始めたのです。夜毎繰り広げられるアンデッド達の戦闘は、凄惨でそして 悲しいものでした。彼らは何度戦って傷ついても、翌晩には負の命を吹き返しました。ちぎれた腕、潰れた頭、穴の開いた胴体に刺さったままの剣、それらパーツだけでも動い て、己が使命を果たさんとしていました。恐らく、どちらかの軍のミスティックが、よほど強力な魔道を開放し、闇のエネルギーを充満させてしまったに違いありません。そし て、それはその地方に昔から住んでいた者達にとって、実に迷惑な話でした。彼らは倒してもきりが無かったからです。なんとかしなければ。そう思った先住の民は、彼らの魂 を静めるため、戦士一人一人に墓を作ってやりました。数万体のアンデッド達を、一人一人呪縛から解放し、逝くべき場所に送るというのは、気の遠くなる作業だったことでし ょう。人類よりも若干寿命の長い、彼ら先住の民にとっても、それは大変な作業だったのです。」
 チャイムが言葉を止めると、聞こえるのは焚き火の中から聞こえるパチパチという音だけで、あたりは静まり返っていました。グール達は、目をぎらぎらと輝かせて、襲撃の 号令が出るのをいまやおそしと待っているように見えました。「それは、大変な作業だったのです。」もう一度彼女は言いました。「そして、その作業の代償を、人間たちから 支払ってもらわなければならないと考えるのは、自然な成り行きではなくて。」確かに。でも、戦争と無関係の人にそれを求めてはいけないと思う。と僕は言いたかったのです が、なぜかうまく口が回りませんでした。「そろそろ薬が効いてきたかしら。」あぁ、さっきのお酒。僕、飲んでなかったのに。どうして効果が出ているんだろう?そのとき、 僕の隣で震えていたシェロンの様子がおかしいことに気付きました。そうか、シェロンは飲んでいたのか、あのお酒。彼女のことです。常人の5倍から10倍の量の、大量のお 酒を飲んでいるに違いありませんでした。僕は、壊れた人形のようなぎこちない動作で、彼女のほうを向きました。そのとき、僕が見たものは、僕の鎖骨あたりに口付けをして いる、恍惚とした表情のシェロンでした。口付け?彼女の口の周り、そして僕の左半身は、いつの間にか血まみれでした。あぁ、あの液体は、吸血鬼の元素を含んでいたのか。
 「さっきのあなたの話、結構面白かったわ。でもね、最近の吸血鬼は太陽の光だけでは倒せないのよ。恐らくそのヴァンパイアは偽物。君は、そのお友達に担がれたのね。」 チャイムは、にこりと微笑むとゆっくりと僕の方に近づいてきました。まずい、このままでは確実に餌食にされてしまう。そんな僕の考えを見透かしたのか、彼女は続けました 。「大丈夫、君は結構気に入ってしまったから、彼らの餌にはしないわ。もっとも、そちらのお嬢さんは別です。悲しい?悲しいでしょう。ふふふ。私って、恋人同士が引き裂 かれていくのを見るのって、好きなのよねぇ。これで何組目かしら。」僕は、僕とシェロンは恋人同士ではないから記録更新ならずだ、ザマミロ。と思ってみたのですが、圧倒 的に不利なこの状況では、色々な意味で悲しいだけでした。
 僕の目の前には、恐らく高位のアンデッドである、美しい少女のヴァンパイアが、不敵な笑みを浮かべて立っていました。僕の隣には、これまた美しい少女が、僕の肩を噛ん で血をすすっています。僕は、吸血鬼の元素を直接摂取していないので、まだまともな意識を保っていますが、吸血鬼と化してしまったシェロンから、じわりじわりと毒素を注 入されて、体の自由を奪われかけていました。そして、僕達三人の周囲には、グールたちが取り囲んでいるという状況でした。僕の全生命エネルギーをかけて銀の涙を使っても 、敵を全滅させるのはまず不可能でした。これを絶体絶命と言わずしてなんというのでしょう?「さぁ、いらっしゃい。あなたも、私の仲間になるのです。じょた。」チャイム がいいました。それは、背筋がぞくりとするような、気持ちのいい声でした。抵抗する気力も失せるような甘い声です。僕は、思わず彼女の仲間になってもいいかな、と思って しまいました。でも、僕の肩に噛み付いているシェロンを見ると、やっぱりこの娘と運命を共にしてもいいかもしれない、と思ったのです。全滅は無理でも、このヴァンパイア 一人なら倒せるかもしれない。僕は、覚悟を決めました。と、そのとき、僕の肩に食いついていたシェロンが、何かを言っていることに気付きました。
 「ウゼェ…」!?僕は、最初彼女が何を言っているのか分かりませんでした。うぜえ?彼女が、そんな下品な言葉を使うのを、僕は見たことがありません。まさか、彼女が、 そんな。「うぜぇ、うぜぇんだよ!」シェロンは、突然逆上し、僕の頭を鋭くはたきました。パシーン!と。「何?私のコントロールから離れているですって?」ヴァンパイア 少女チャイムは、何事か呪文のようなものを唱えたようでした。しかし、そんなもの、全く効果が無いのか、シェロンは意味不明の言葉を吐きながら、チャイムにつかみかかっ ていきます。「そんな、吸血鬼の元素の効果が、アルコールの酔いに負けるなんて。この女、非常識だわ!」シェロンは、そんなチャイムを無視すると、見事な一本背負いで彼 女を地面に叩きつけました。そして、地面に仰向けになったチャイムを引きずり起こすと、続けざまに技をかけていきました。「まだ、まだぁ!内股!かわずがけ!そしてぇ、 巴投げ!!」シェロンは、チャイムに反撃の暇も与えず、連続で攻撃を仕掛けていきました。技が決まるたびに、周囲から「おぅ」とか「あが」とか短いうめき声が上がりまし た。そして、そのたびにギャラリーの数は減っていっているようなのでした。
 どれくらいの時間が流れたのか分かりませんが、いつの間にかヴァンパイア対人間の格闘技戦は終焉を迎えていたようでした。野外特設リングには、勝者のシェロンがのっそ りと立っていて、地面にはぼろ雑巾のようになったチャイムが倒れていました。僕は、その場に残された最後のギャラリーのようで、あれだけ周辺にいたグール達も、今は一匹 もいませんでした。僕に対しては、殆ど打撃系の攻撃をしかけるシェロンですが、チャイムに対してはなぜか投げ技を多用していました。128回連続の攻撃だったかどうかは 分かりませんが、ピクリとも動かないチャイム、ヴァンパイアを見ると、通常は打撃系攻撃が通用しないはずのヴァンパイアがノックアウトされているというこの状況を見る限 りでは、それに近い回数の致命的ダメージが与えられたことは間違いないようでした。ひゅるひゅると風が吹いて、シェロンの黒髪がするすると揺れました。彼女はくるりとこ ちらを振り向くと、皿のような目で僕を見つめました。もとい、僕を睨みました。うわ、まだ酔っていらっしゃる!シェロンは、風のようにすばやく僕に接近し、僕の襟首をつ かみました。わわわ、これはまずい、と思ったとき、彼女は言いました。「気持ちが悪いの」…そして、僕の服は、彼女のリバースしたいろいろなもの、主に先ほどまで摂取し ていた鳥さん、豚さん、エトセトラっと、それらでめいっぱいデコレーションされてしまいました。
 朝日が昇りました。待ちに待った朝が訪れました。すがすがしい朝のはずですが、なぜかそよ風が酸っぱいような匂いになっていました。それは、シェロンに綺麗にデコレー ションされ、脱ぎ捨てた服から漂ってくる匂いでした。「んー。」僕の膝枕で眠っていたシェロンが、目覚めたようです。もちろん、僕が眠っていないのは言うまでもありませ ん。「ふわぁ、おはよう、じょた…いたた、頭が、痛いわ。風邪でも引いたのかしら。」彼女は、自分がどうして頭が痛いのか、全く理解していないようでした。そのうち、あ ちこちすりむけ、破れた自分の服に気がついて言いました。「私、どうして、こんなに服が乱れているの?」そして、僕の顔を見上げました。いつもの、かわいい、乙女の表情 です。まずいことに、僕の上半身は薄手のシャツ一枚を羽織っているだけでした。「まさか、じょた、あなた、私のことを………信じていたのに。」彼女は瞳に涙を浮かべてい ました。もっとも、今さっきあくびをしたからなのですが。「ちょ、ちょっと待った。」彼女が何を言わんとしているのか即座に理解した僕は、昨日の晩の出来事を彼女に話し て聞かせました。しかし、彼女は全く聞く耳を持たず「そういえば、チャイムはどこへ行ったの?」と言いました。確かにそう言われてみると、いつの間にかヴァンパイアのチ ャイムの姿が見えません。まぁ、最近のヴァンパイアは、太陽の光にも耐性があるって彼女が言っていたし、真夏の昼間に水汲みできるくらいだから問題ないと思って、気にも 留めていませんでした。すると、シェロンは言いました。「まさか、あなた、チャイムにまで…。許せないわ!このけだもの!!」僕は、朝っぱらから彼女のスナップの利いた 鋭い平手打ちを横っ面に食らいました。パシーン!って。
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