「Funny World じょたの冒険」
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第7話「心の闇に触れるの事」(上)
 宇宙に近いせいか、雲ひとつない深い青色をした空の中に、切り立った山の峰々が白いふちどりをされて連なっていた。永い年月をかけて削り取られた斜面を目で追っていく と、その麓には空の色を鏡に映したかのように青々とした湖が静かに横たわっていた。その三日月形をした湖に突き出た岬には、部分的に緑の植物が繁茂していて、時折訪れる 旅人の目を楽しませていたが、実際には生きることが許されている限られた土地の中で、生物たちが熾烈な生存競争を繰り広げていた。
 そんな過酷な生存環境の高山地帯の抜け道に、久しぶりに旅人が訪れた。一人は髪の長い少女であった。彼女は、白い金属の胸当てで補強された革鎧を身に着け、腰には細身 の剣と花柄のウエストポーチ、背中には薄緑のリュックを背負っていた。彼女の背中では、黒髪をまとめている銀のアクセサリーが、彼女が歩くたびにリュックの上で揺れてい た。そのゆらゆらと揺れている猫じゃらしにつられて、2,3m後ろを青息吐息でついてくるもう一人は、黒というよりは青みがかった髪の、ほっそりとした体型の少年であっ た。彼は、所々鋲のようなものが打ち込まれた革の鎧を着用していた。その鋲のようなものは、良く見るとそれぞれ異なった紋様が彫刻されており、鎧の補強のために打ち込ま れたというよりは、どうも魔道を発動させるためか、もしくは発動させやすくするための仕掛けのようなのであった。彼は、細身の体に似合わず長さ1m近くもある幅広の長剣 をはき、2本の水筒をぶら下げて、勿論少女の分と二人分であろうという事は想像に難くないが、背負うリュックも彼女の2倍以上の大きさで、恐らく二人分の装備の殆どを彼 が運んでいるに違いなかった。その少年が、足元の石につまづいて思い切り転倒した。
 「何をやっているのよ。」少女が膨れつらをして振り向いた。猫じゃらしが、するりと揺れた。「ふぅ、少し休もうよ。ほら、あそこの、湖に突き出た緑の絨毯みたいな場所 。」彼は、受身を取り損ねて打ち付けた顔面を抑えながら、息も絶え絶えにそう言うと、その場に座り込んで絨毯のほうを指差した。「まだ、日が昇ってから大して歩いていな いわ。今日中に麓の村にたどり着かないと、食料も水も厳しくなってきているのよ。それに…」彼女は、一瞬眉をひそめると考え込むしぐさをした。「それに、まともな道を外 れて、道に迷ったり命を落とすような事があったら困るでしょう。」それを僕に言うの?という言葉を彼は飲み込んだ。と言うのも、こんなことがあったのだ。
 「じょた、向こうに登山家の人が歩いていくのが見えるわ。こっちが正しい道なのよ。」そう言うと、シェリルはじょたをおいて、さっさと小走りに歩き出した。「ちょっと 待った。」じょたは、慌てて彼女を呼び止めた。「なによ。」彼女は、ぷんと膨れつらをすると、立ち止まって振り向いた。彼女が振り向くと、大きな荷物を背負ったほっそり とした少年、じょたは、バランスを崩したやじろべえのように傾きながら、よたよたと歩いてきた。「遅いよ!」腕組みをして仁王立ちのシェリルは、きっとじょたを睨んだ。 「シェリル。濃霧の中で駆け出したら危ないよ。」と、じょたは言った。彼らは今、世界最強の国家カール帝国から逃れるために、山越えルートを通って隣国のマイヤー帝国に 向かっているところであった。主だった街道は全て閉鎖されていて、もっとも一般の商人や旅人の通行は可能だと思われるが、お尋ね者になった彼らは通れないので、危険な山 越えルートを選択せざるを得なかったのだ。もちろんテレポートアイテムを使用して国外に脱出するという手段が一番手っ取り早いが、各都市にはテレポートブロックがかけら れているし、カール帝国は大地の魔道力を制御してテレポート自体が不可能になっている土地が多く、テレポートできない事が多かった。試みにテレポートアイテムを使用して 、それを確かめてみたい誘惑に駆られるが、敵ミスティックの魔道感知がどこまで及んでいるか分からないので、分の悪い賭けをするのはやめておいた。一般的に、国境 のラインには城壁が作られていたり、掘割が続いていたり、魔道感知の罠が仕掛けられていたりするものである。カール帝国もそのご多分に漏れず、国境線のあらゆる場所に魔 道感知の罠が仕掛けられていて、力ずくで通り抜けようとする者があればすぐに見つかってしまい、国境付近に駐屯している帝国軍1個中隊規模とご対面という事になるのだ。
 「紐で結んでおこう。」じょたは、リュックからロープを取り出すと、お互いの腰に結びつけた。「これで見失ったりしないでしょ。」と、じょた。「なんだか捕虜を引き連 れているみたいでいやねぇ。」とシェリル。僕は捕虜ですか、という言葉を飲み込んで、じょたはゆっくりと立ち上がった。周囲を見回すと、真っ白い世界の中にのっそりと樹 木が浮かび上がっているのが見えた。そして気がつくと、シェリルはすでにそれらの樹木と殆ど見分けがつかなくなっていた。いきなりひもがぐいっと引っ張られた。「もたも たしないで!」という彼女の声に励まされ、じょたはまた傾いたやじろべえになりながら、よたよたと歩いていった。
 確かにさっき、こっちの方に向かって登山家が歩いて行くのが見えたわ。この真っ白い濃霧の中で、赤いリュックを背負って、ピッケルのようなものを持ち、毛皮の分厚い服 を着て、スパイクのついた靴を履いているのも見て取れた。2,3m先の樹木もかすんで見えるくらいなのに、もっと先を歩く登山家がはっきりと見えていたというのはおかし いが、彼女は特に不思議に思っていなかった。あ、また登山家の人が見えた。よし、あの後をついて行けばいいのね。シェリルはまた、じょたと繋がったロープをぐいっと引っ 張って、叱咤激励の呪文を唱えると、何も無い真っ白な空間に向かって歩いていった。
 「おっと」じょたはまた、腰に縛り付けられたロープに引っ張られてよろめいた。そして、前方の真っ白な空間から叱咤激励の言葉が飛んできて、彼の耳に突き刺さった。どうや ら、さっきの登山家の人に追いついたようであった。その時じょたは、ふと霧の中を誰かと歩いた記憶があることを思い出した。いつの事だったろうか?霧に包まれた街で、ブ ロンドの髪の少年と歩いた記憶。あれは、どこだったかな?彼の名前は…、どうしても思い出せない。ぼんやりと物思いにふけっていたじょたは、前方からの冷たい風でふと我 に返った。それにしても、シェリルはこんな濃霧の中で、よく前方を歩く人に気がついたものだなと彼は思った。それは、彼女の強力な魔道感知能力のせいかもしれなかった。 じょたは、魔道感知能力で闇の中を見通すことができることを知っていたし、優れたミスティックは意識しなくてもその能力を使えるのだと聞いた。濃霧も闇の中と同じような ものだし、ひょっとするとそうなのかな、と思った。でも…、とじょたは不審に思っている事があった。でも、一流の登山家なら、こんな濃霧の日には動かないで、霧が晴れる のをじっと待つものではないかな。とその時、今までで一番強くロープが引っ張られた。そして、前方から叱咤激励の代わりに悲鳴が聞こえてきた。「きゃー!!!」
 じょたは、すばやく彼女に駆け寄ろうとしたが、その必要は無かった。彼の体は、ぐいぐいと前方に向かって引っ張られていったから。じょたは、背中にぞくりと寒気を感じ た。嫌な予感がする。彼は、ゼロコンマ何秒か逡巡した。しかし、すぐに自分の直感を信じて足を踏ん張ると、ロープを引っ張り返した。ぬかるんだ地面のせいで、なおしばら くの間、彼の体は引きずられていたが、体に不釣合いな長剣が木の隙間に挟まって、ようやく停止した。荷物が重かった事も、不幸中の幸いだったかもしれなかった。「お願い 、早く引っ張って。」シェリルの声が、なぜか下のほうから聞こえてきた。じょたは呼吸を整えると、斜め下方向に伸びるロープを引っ張った。風に流されて、濃霧がすぅっと 晴れてきた。じょたは、自分の目の前に広がる景色を見たとき、またしても背中がぞくりと寒くなって、ぎしぎしという音を立てている長剣をいとおしく思ったし、まだ足元が ぬかるんで立ち上がれない事を憎らしく思った。実際、彼が立ち上がれないのは、腰が抜けていたからかもしれなかったが。彼の眼前には、麓の村があった。数百メートルほど 直角に下った先だったけれど。
 「何をやっているのよ。」少女が膨れつらをして振り向いた。彼女の背中で、漆黒の髪につけられた銀色の猫じゃらしが、するりと揺れた。じょたは、強烈な日差しを受けて 、一瞬頭がくらりとしてしまった。ここは、カール帝国とマイヤー帝国の国境を越えた、山頂付近のカルデラ湖であった。この道に沿って湖を回り込めば、死ぬ思いをして発見 した、がけ下の麓の村に到着するはずだ。シェリルは、くるりと回れ右をすると、青々とした水をたたえたカルデラ湖に突き出た、緑の絨毯の方へ歩いていった。「かわいそう だから、少し休憩にしてあげるわ。ほら、向こうに登山家の人達がいるじゃない。皆休息を取っているのね。こっちに、手招きしてるわよ。」シェリルはそう言って振り向くと 、屈託の無い笑顔を浮かべた。じょたは、世界中を敵に回してもシェリルを守っていくつもりだったし、お尋ね者になってカール帝国の刺客に狙われることも後悔して いなかった。でも、でも、彼女のあの能力だけは勘弁してほしかった。「ちょ、ちょっと待ったーっ!!休憩終わり!出発進行!!」「えーっ、どうして。向こうで休んで行こ うよ。」彼女が指差す先には、誰もいない緑の絨毯があるだけだった。
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