高遠城
<2001夏編>
桜の名所として知られている「高遠城趾公園」(<2003桜編>もご覧ください)。
その昔、武田氏が織田勢の進撃をくい止めるべく、死闘が行われた地です。いや、最後の激戦を行った地とも言い換えられる。武田信玄の五男であり、仁科家に養子へいった仁科五郎盛信が、織田軍に対して、武田家の抵抗を見せつけた城です。武田氏滅亡は武田勝頼が自刃した天目山であるが、決戦という意味ではこの地で勝負が決したといいかえてよいのではないでしょうか。
中央自動車道の諏訪ICより杖突街道を抜けて、およそ1時間弱で到着できる。また伊那ICからなら30分ほどでたどり着けます。山道をゆっくりと通りたいのなら、杖突街道を抜ける通をお薦めします。山の谷間を抜け、田園風景を眺めながらのドライブが楽しめます。
さて今回は杖突峠を経由して高遠城趾へまいりました。案内板もよく目に付くので、迷うことはないと思います。城址公園の目の前が駐車場になっているので、そこに駐車すれば、あるいて1分かからない距離です。ただし駐車料金が¥500程かかります。
なかに足を踏み入れれば分かりますが、桜の木々が鬱蒼と生い茂っている森林です。なんでも1500本ほどのコヒガンサクラがあるそうです。しかしあれだけの桜の木が花を咲かせるのでしたら、相応の華やかさが想像できます。やはりここへ訪れるのなら春が良さそうです。しかし時期によっては虫にご注意でしょうか。虫が苦手な人は、足下に頭上などを注意して散策しましょう。
入り口(北口ゲート)は二の丸になっております。二の丸と本丸との間は深い堀になっており、橋を介して移動します。ちなみに郭間を移動する際は、この様な橋を用いる事になっていました。また斜面も急になっているので、攻め上ってくるのに苦労しそうでもあります。また法憧院郭あたりは激戦地であった様で、ここに滝川一益率いる織田軍と、仁科盛信率いる武田軍との壮絶な死闘があったのでしょう。
敷地内はそれほど広くないので、小一時間もあればまわれそうです。訪れた時は、人かけがまばらでしたが、おそらく春のお花見シーズンは、どこを見回しても人人人・・・なんでしょう。しかし今回の様にシーズンオフであれば、時間をかけてゆっくりと見て回ることができます。
城跡見物というよりは、花見に来たり、公園を散策しに来る所の様に思われた。しかし本丸跡や遺構の跡など、当時のモノを偲ばせることもできます。また近くには歴史博物館や美術館、お寺など史跡は多々ある様なので、機会があれば足を運んでみたいものです。
所在地
長野県上伊那郡高遠町
アクセス
車:中央自動車道 諏訪ICより60分、伊那ICより30分
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