史跡巡り

盛岡城趾


かつては東北新幹線の終着駅でもあった盛岡駅のある岩手県盛岡市。
駅から開運橋を渡り,市役所へ向かうと右手側に遺る石垣。現在では整備もすすみ散策のしやすい城趾である盛岡城。

美しい石垣が眼に入ってくる。城郭周辺を歩けばわかることであるが、どの角度から威厳があり壮麗な姿を魅せてくれている。

天守や櫓といった建造物は無い。しかし城趾の見所は「三の丸」「二の丸」「本丸」といった各郭を守護する石垣であり、そしてこの盛岡城のシンボルとなっている。

石垣
二の丸から本丸を眺めてみた

いまの城趾では一番北側に位置するのが「三の丸」となる。
そして南隣が「二の丸」。そして「本丸」といった配置だ。石垣に焦点をあててみると、「三の丸」の石垣は江戸時代の初期頃であり、「二の丸」のそれは江戸時代中期頃だと言われている。

ちなみに「二の丸」には石川啄木の歌碑を確認できる。 「不来方のお城の草の寝ころびて 空に吸われし十五の心」

さらに紙幣の図柄にも抜擢された新渡戸稲造の記念碑も同様に確認できるので、気になる人は是非足を運んでみることをお薦め。

「二の丸」と「本丸」にはかつて「御廊下橋」と言われた朱色の橋が架けられており、その存在自体が城趾を彩っており、この橋を渡ることで、何か特別な想いを感じさせてくれる。
石の城に亜割られた深紅の「御廊下橋」
腰曲輪から眺めた本丸の石垣

「本丸」入り口にはかつて、「多門櫓」が建てられていたとか。
いまではその面影は想像の中でしか無いが、その地に立つと石垣に囲まれた虎口に大きな門で塞がれる姿が浮かびそうだ。

この「本丸」にはかつて、天守と呼ばれる建造物があったとか、「御三階櫓」と称されていたモノで、その三層からなる櫓は、その姿を観ることはかなわない。

また「本丸」の東、南、西側をコの字囲む様にして、一段低い位置に腰曲輪が築かれている。そこから「本丸」の石垣を眺めても十二分に楽しめる。

繰り返し記しているが、盛岡城の特徴はなんといっても「石垣」。「石垣」を観ずに何を堪能するのか。城内のどこからの眺めが一番であるか、探すのも楽しみの一つかもしれない。



■盛岡城小史
天正一八(1590)年、天下統一を果たした豊臣秀吉より所領を安堵された南部信直が、三戸より居城の移転を不来方城へ決め現在の盛岡城の原型となった。
移転するにあたり、豊臣家の蒲生氏郷や浅野長政による助言があったと言われている。
慶長(1597)二年より縄張りが始められ、翌年より本格的な築城が開始された。 丘陵地の中心部に各曲輪を配し、石垣で構えた内曲輪を築き、起伏の激しかった土地をならし、そこへ家臣らの屋敷をはして外曲輪とした。
さらに外側には町人達の家屋を配することで、総構の城が竣工された。築城を始めてから36年後の寛永一〇(1633)年であり、当主は三代目の重直の時代であった。
南部(盛岡)藩南部氏の居城として幕末で残存した城趾であり、現在は公園として解放されている。



■情報
築城年:慶長三(1598)年
別名:不来方城
所在地:岩手県盛岡市
主な遺構:石垣
関連武将:南部重直
アクセス:盛岡駅よりバス利用 > 盛岡城跡公園にて下車
駐車場:近隣に有料駐車場多数



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