■海津城小史
甲斐の武田信玄が,越後の上杉謙信の押さえとして,山本勘助に命じて縄張りをさせた城である。城代として高坂昌信を配し,永禄四(1561)年の川中島の合戦に際しては,武田軍の本拠地となった。武田家滅亡後は織田領となり森忠政が城主となり,また本能寺の変後は上杉領となった。豊臣時代,徳川時代初期は城主は転々とし,元和八(1622)年に上田の真田信幸が配置換えで,松代城主となる。真田一〇万石の基礎となった。真田家は外様でありながらも,明治維新まで家名を松代の地に存続させた。ちなみに松代という名に改めたのは真田幸道の頃と言われている。
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