海津城

■海津城散策

前に訪れた時は復元中だった海津城。今回は復元工事が終了したというお城を見学することができた。
(実は昨年にも訪れておりましたが。)

こちらのリンク先が前回の史跡巡り「海津城」になります。

今回もドライブのついでに立ち寄ってみた。前と違って驚いたことは,城跡前にある広場の様な駐車場に観光バスが10台くらい列を成していたこと。さらに中学生らしい人たちが続々と城の方から戻ってきていた。いつの間にか修学旅行だか遠足コースに組み込まれていたらしい。

さて改装された海津のお城。

石垣を用いて復元されているので,川中島合戦当時に築城された海津城というよりは,江戸になってからの松代城というのが正しいのかもしれません。

復元されたお城はやはり正面からみる「太鼓門」と「太鼓門前橋」でしょう。これらが,この城のシンボルとなるでしょう。

この奥が「本丸」となっており,ちなみにそこへは南側,東側,そして北の三カ所をなっている。

「太鼓門」は南側にあり,海津城の中で最大の規模を誇る門である。 よく観光案内などで目にすることがあると思います。 こちらを復元するにあたり,発掘調査の結果はもちろん,各文献などを参考にして再現したとか。 ちなみに屋根は櫪葺きで復元されている。

「堀」づたいに東側へまわると,「東不名門」と「東不明門前橋」になってます。 こちらは門とは名ばかりで,「太鼓門」の様な立派なものがある訳ではありませんでした。

さらに北側へ進むと今度は「北不名門」と「枡形門」が復元されております。 これを囲む様にして,「石垣」の上部を板張りにした塀という形で復元されておりました。 どうやら「本丸」の北側にまで堀は続いてはなかった様です。

「本丸」内はというと,整理された城址公園に様変わり。 周りは石垣になっており,ここが城の中であることを認識させられます。 ただこの本丸内には特に復元されているものは無く,多少は手を加えてそままに保存をされている様でした。

また櫓台から,城の四方を眺められ,遠く戸隠の山々も観られます。 さらに永禄四(1561)年の川中島の合戦時,上杉謙信(当時は政虎)が陣を敷いた妻女山も眺めることができます。その距離が近いことから,改めてこの合戦の緊張感が視覚的に理解できました。

 
■海津城小史

甲斐の武田信玄が,越後の上杉謙信の押さえとして,山本勘助に命じて縄張りをさせた城である。城代として高坂昌信を配し,永禄四(1561)年の川中島の合戦に際しては,武田軍の本拠地となった。武田家滅亡後は織田領となり森忠政が城主となり,また本能寺の変後は上杉領となった。豊臣時代,徳川時代初期は城主は転々とし,元和八(1622)年に上田の真田信幸が配置換えで,松代城主となる。真田一〇万石の基礎となった。真田家は外様でありながらも,明治維新まで家名を松代の地に存続させた。ちなみに松代という名に改めたのは真田幸道の頃と言われている。
 
■情報

別 名 :松代城
所在地 :長野県長野市
築城年 :永禄三(1561)年
関連武将:山本勘助,高坂昌信,森忠政,真田信幸
アクセス:長野自動車道松代ICより10分