池波正太郎の短編集。
題名の通り、真田家にまつわる物語が、短編として全部で五つの話が纏められている。
「信濃大名記」
真田信幸を主人公にした話。
大阪の陣前夜、信幸は実弟の信繁とお通を介して最後の対話を迎えていた。信繁は大阪の合戦にて落命し、信幸は真田の家名を残すため江戸徳川家に忠誠を誓い続けることとなる。そんな苦労の中に、信幸のやすらぎを与えてくれたのが、お通という女性であった。信幸とお通の物語とでもいおうか。
「碁盤の首」
物語は村娘に乱暴を強いた家臣を処罰しようとした信幸。
徳川家康が逝去し、2代目となった徳川秀忠。秀忠が目論むのは真田家と取り潰し。
どんな些細な事でも難癖を突きつけてくる恐れを抱く真田信幸。そんな真田家に裏切りものが出た。対処する信幸がとった秘策とは何だったのか。
「錯乱」
こちらは「隠密」の話である。
忍者の一種でありながら一昔前の姿とはちがう。風の様に早く走ることはしない、塀もひとっ飛びしない、もちろん煙で姿を消すこともない。
ただただ正体を知られず、その地に住み着き、いざという時には秘密を握ってトンズラするという。結末に衝撃を感じずにはおれない作品だ。
「真田騒動」
本書の主となる作品だろう。財政難に立ち向かう若き侍、恩田木工の藩政改革記とでもいおうか。
松代に行くとその銅像を目にすることもでき、邸宅跡も見学する事が出来る。
もしかしたら佐久間象山とならんで、当地では有名な偉人として語られているかもしれない。もっとその名を知られても良い人でしょう。
「この父その子」
真田信弘の不遇な時代の話。
五十を過ぎても若さま呼ばわり。世間からすれば外れている様にも見えてしまう。これでは呆けても致し方ないかも。
そんな姿を哀れんだ家臣と豪商が目論み計画。それは信弘と一介の踊り子との酒席。やがて踊り子は信弘の子を宿し、そして二人は別れたのであった・・・。
それからどうしたというのは、読んでからのお楽しみ。
書 名:真田の具足師
著者名 :武川 佑
出版社名:PHP研究所
登場人物:岩井与左衛門
update by 2024/02/24
「真田」というブランドに目が行き、手に取ったのが始まりであり、内容については読むまで気にも留めなかった。
表紙に描かれた六文銭の幟がまた魅力的に感じ入り、本能的に惹かれたのは間違いない。
さて本書ではあるが、戦場を駆け巡る武将の荒々しさでも、権謀術策を駆使して群雄割拠を狡猾に振る舞っているのでもない。
具足というちがった視点から描いた、珍しい小説だと思われる。
もちろん具足に疎い人であっても理解することができるよう、桶川胴の構造を巻頭で図説しているが、本書を読んでみる限りでは、もっと多くの情報を読者にほしいと思ってしまった。
これを機にちょっとしらべて見ようかと重い腰を上げる様に促されているのかもしれないですが。
肝心の物語についてですが、徳川家の間諜として、真田家が装備している具足の秘密を探るべく、潜入捜査をすることになった主人公。
なかなかうまくことが運ばないのは世の常である。
それでも物語の特性上、淡々と進行していく展開はゲームに例えるならば「太閤立志伝」を彷彿とさせる雰囲気がある。
なおここで言っている「太閤立志伝」とはかつて、光栄と名乗っていたゲーム会社が製作していたゲームのことと、あえて注釈させてもらいます。
ちょっと辛口になってしまって申し訳ないが、真田ブランドに惹かれ大きな期待を持って読み始めたのだが、最終頁に行くころには「そうなるよね・・・」で終わっていた。
具足師としてか、その具足の秘密を暴く目的なのか、はたまた真田の強さを新しい視点で描いているのか。
具足の謎もそうだが、真田家の秘密にも迫っていたり、なかなか突っ込んでいる話ではあるが、なにか物足りなさを感じてしまうのは、なぜだろうか。
著者名 :佐々木 功
出版社名:角川春樹事務所
登場人物:真田源吾、真田信繁、真田昌幸、真田信幸
やはり真田は強かった。
群雄割拠の戦国時代から、統一政権が成り立つ過程の織豊時代、そして大阪の陣で戦国に幕をおろした江戸初期。
これらの時代を通して、人気も実力も「真田」という名前には、特別な何かが宿っているのでは思えてならない。
特に現在の歴史モノ小説の題材としては、信長・秀吉・家康の三英雄に匹敵するか、もしくはそれ以上の魅力を出しているのではないだろうか。
本作「真田の兵ども」も、題目の通り「真田」を冠した小説の一つであり、真田親子の活躍を描いている作品となっている。
舞台は慶長五年の関ヶ原前夜。
下野の「犬伏」における真田親子の決裂からはじまる。
ここ場面は真田家を語る上で、避けては通ることのできない重大な局面だろう。
史実通りであれば、真田昌幸および信繁親子は陣を離れ上田へ向い、真田信幸は徳川方として将来の方向性を決した場面。
そして本作も史実通り、そして独自性を組み入れて親子兄弟が決別し、昌幸と信繁親子は上田への戻り徳川軍を迎え撃つ。
そして徳川秀忠が率いる五万の大軍を返り討ちにするクライマックスを迎え、大筋は真田方の大勝利で万々歳。
だがそれは、全国を俯瞰して見た場合、単なる局地戦でのこと。
美濃関ヶ原において徳川家康率いる軍勢が、西軍を完膚なきほどに叩きのめして勝利を挙げたのはご存じの通り。
さて本作の主人公となるのが真田源吾なる少年忍び。
主君である昌幸からは嫡男の信幸付きの小姓として、上田との繋ぎという任務を授けられていた。
しかし源吾は内に秘める思いが強く、そして自らの意思で役目を放棄。
そしてある行動に出るのであった。
源吾の独断専行、そして周囲から守られる少年忍び。
さらに真田忍びとして十勇士を彷彿とさせる面々が登場し、人間離れした術でもって徳川軍を翻弄したりと、大味な展開となってしまうところが少々残念でもあった。
真田モノであっため手に取って時の期待は大きく、読んだ感想はやや辛口となってしまったが。
それでも真田信幸という人物の描写や、ここに真田信勝という人物を登場させるなど、真田好きにとっては読んでおきたい作品だ。
著者名 :伊東 潤
出版社名:新潮文庫
登場人物:大藤信基
「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞からはじまる物語。
小田原北条家に訪れた大藤信基は、まるで狩りにでも向かう気軽さで氏綱に言い放った。
この信基はどの様にして城を奪取するのかというのが、本書の楽しみ方だ。
ちなみに城を取ることは、そう簡単にできるものでは無い。
昔から城を攻めるには、守備兵の数倍の人数をそろえて攻める必要があると言われている。
そして古来より攻め方、その手法は千差万別。
兵力を頼りに押し切る力攻めや、食料や水を断ち切り城兵の疲弊を待つ兵糧攻め。
または謀略を用いて、城兵らに疑心暗鬼を植え付け、内部から崩壊に導かせるなど、さまざまな方法で城攻めがされている。
要は敵方の拠点である城から敵兵を退かせるか、味方に鞍替えさせれば、敵の勢力を排除したことになり味方の勢力図が広がる。
まして交通の要所を押さえた城であれば、その価値は莫大であると考えてよい。
さて信基の城取りだが、詳しくはここでは語らない。
あえて言えば「猛徳新書」という兵法書の存在といえるだろう。
三國志という物語を読んだ人であれば、目にしたことがあるかと想うが、曹操という人が記した兵法書の事だ。
ここで「猛徳新書」について語る必要は無いと思うが、この書を信基は秘策の引き出しとして活用し、さらに息子や孫達も巻き込んで連綿と続く城取の物語となっている。
北条氏綱の時代から氏康、氏政、氏直と続く北条家。
その発展に寄与していく大藤一族。
城取りという物差しで見た、北条五代の栄枯盛衰を描いた歴史小説とでも言って良いかもしれない。
未だ読んでいなかったかと気がつき、手に取ってみた司馬遼太郎の長編歴史小説「城塞」。
徳川家康が施した最後の地固めとして、戦国時代に終止符をうった大坂の陣。滅びの美学とも言うのか、破れた大阪方の視点で描かれているため、どうしても豊臣方へ感情移入してしまう。
大阪城に集う浪人や元大名、武将、国人など、多くの人物が魅力的に思えてきてしまうのは不思議である。
天下の小大名を動員して大阪へ向けて、兵を集う。豊臣秀吉の遺児である秀頼と、その母である淀君を討つまでを描いている。秀吉からの最大の遺産となった大阪城。そして頑なに徳川に屈しようとしない淀君の破滅までを描いている。
後藤又兵衛や真田幸村という大将格の武将はもちろん、毛利勝永、塙団右衛門、木村重成をはじめとした大阪城へ入城した者達にも多くの活躍の場が描かれている。中でも印象深いのは新宮行朝という名が頭から離れない。
さらに城中には男ばかりではなく、女帝ともいえる淀君を中心に、多くの女性も生活をしていた。その中でお夏(架空の人物)を通して、当時の女性の性質を描いているのかもしれない。
また徳川家康はまったくの悪玉として描かれている。側近である本多正信や正純といった謀将は飾り物の様に見え、前線で猛進するはずの城攻めの武将は二流に描かれているのは気のせいだろうか。その中でも小幡勘兵衛という人物には多くを語らせ、重要な役回りとなっている。
しかし本書は大阪の陣へ参画した人々を単に紹介しているだけではない。どの様に大阪城は陥落していいき、どうして豊臣家は滅亡という道を歩むことになったかと思えてしまう。本書を手にとり読み進めることで、その一端を垣間見たと錯覚してしまうことだろう。
著 者:津本 陽
出版社:新潮文庫
登場人物:小笠原長治、笹田孫兵衛
はじめて読んだ「剣豪小説」と呼ばれる書がこちらとなる。
まだ何もしらないで、小笠原という名字に惹かれ手にとったのが本書だ。小笠原という名から室町時代に信濃守護を務めた名将の話と思いきや、まったく異なる内容から辛い評価をしてしまった。
今にして思えば何もしらない者の言い分であり、恥ずべき事を口にしてしまったと今では後悔。
改めて読み返してみると、戦国末期に滅亡へと進む一族の中で、己の命は剣の道で守り、そしてより高い術をつかむまでの成長を描いた物語。
幼少期に高天神城が落城し、青年期には興国寺城を開城し、そして北条方として戦った小田原合戦でも敗北。
敗北するたびに大切な人との別れが、小笠原長治という人物を大きくもし、成長させ、強くしていく。ここで実った剣術を通して、人としての生き様を読者を刺激させる。
後半部、剣を極めるため南国へおもむき、修行三昧の日々を過ごすのだが、そこで真の強さをつかみ取るまでの小笠原長治という武将の成長物語とといえるだろう。
特別なコトバで表現することは出来ないが、「司馬遼太郎作品」を読んで外れは無い。
戦国の三英雄と言われている「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」。
過去にどれほどの作家さんが信長の英雄物語を描き、秀吉の出世物語を創作し、そして家康の成功物語を世に送り出してきたか。
本書ではこの中で「豊臣秀吉」を描いている。
「太閤記」といえば「豊臣秀吉」の一代記となっており、古くは江戸時代初期には描かれていた。
数々の資料や口伝によるエピソードを著者がまとめ、独自の解釈を加えて創作されて、現在まで語り継がれた物語だ。
本書では、題名の頭部に「新史」と付与しており、司馬氏流の太閤記に仕上がっているといえるだろう。
こちらも御多分に洩れず、秀吉にまつわる数々のエピソードを加え、小僧から足軽、そして侍大将へと出世街道を突き進む痛快活劇となっている。
改めて読み返してみても、序盤から「小僧」と呼ばれる少年期から、物語の中に引き込まれてしまう。
ちなみに個人的なことだが、正直に言うと秀吉という人物は、なぜか余り好きにはなれない。
どちらかということ、戦国時代を通して生きた人物の中では、勝手ながら個人的に好感度は低い方だ。
なぜだかという理由については、うまく説明はできないし、明確な答えも持っていない。
お調子者として描かれるキャラが気に入らないのか、もしくは晩年の生き様を好ましく感じていないのかもしれない。
ただ本書ではその晩年までは描かれていない。
ちょうど日本という国を一つにまとめ上げた、天下統一という大事業を果たしたところで、物語は終止符がうたれている。
これで幕下ろされ、それ以降の歴史については多くを語らず、これが良い終わり方はないだろうかと思う。
数々の苦難に立ち向かい、打ち勝ち、辛酸をなめ出世を果たした豊臣秀吉。
このあとはキリシタン弾圧、朝鮮への無謀な出兵、子飼の武将による闘争など暗い話が続く。
ここで英雄譚は終幕とするのが、この物語には相応しいのではないだろうか。
「ぜにざむらい」という題目に惹かれて、手に取って読み始めた本書。
「銭」というキーワードから、幕末期に登場した新選組の吉村貫一郎を主人公とした小説を思い浮かべた。
しかし読み終えてみると、銭に執着する守銭奴侍の物語という予想と期待は、良い意味で裏切られた。
銭の持っている「力」とは、どれほどのモノなのか。
左内は身をもって、武将として、人として、それを証明してくれている。
銭を貯めるだけでなく、その銭をさらに増やし、そして人の命を繋ぐために使う。
そもそも銭でもって、幸せは得ることはできるのか。
銭に執着する左内の原点は、源八と呼ばれていた幼少期に遡ることなる。
若殿として成長過程であった源八は織田信長による越前侵攻により、奈落の底に突き落とされることになる。
お家は滅亡し逃亡を図るも、一人山中を逃げ惑い、衣服も、食べ物も、住む処も、そして銭も無く途方に暮れた源八。
福祉などという言葉が存在しない乱世、どの様にして子供一人で生存競争に勝ちにぬけたのか。
さらに蒲生家、そして上杉家と仕え、無一文だった源八は、一万石という知行を得る武将へと出生することができたのか。
石高にして一万石もの武将にまで登り詰める「岡左内」という人物の一代記である。
しかし本書は単なる出世物語でも、成功者の美談を並べ立て、武勇伝的な内容でもない。
銭布団という不可思議な趣味を持ったり、銭への執着や正直すぎる言動から上役から嫌われたりと、各方面から左内という人物が描いている。
読み続けていくほどに、、左内という人物に興味が沸いてきた。
この左内という人物に好感を抱けるかどうか。
もしかしたら戦国武将らしくないとして、逆に想う意見もあるかもしれない。
それはすべて読んでから。