さて、傷が化膿する事も無く、痛みもさほど無く、無事退院の日を迎えました。当日はする事も無く病室で時間をつぶす事になりました。最後の食事を取り、荷作りも済むと、PCで将棋をしながら会計の知らせを待ちました。この病院は、入院した時の支払いがクレジットカードで出来るので便利です。現金を用意するのは防犯上問題ですからねえ。昼前にPC将棋(ただし、弱い相手という設定です)で勝ちそうになるところで、知らせが来ました。入院会計を済ますと、いよいよ娑婆に出られます。病院の食堂で昼飯を食べて、贅沢にタクシーで帰宅しました。帰ったらファゴットを吹こうと思っていました。

一息ついて、ファゴットを出す事にしました。ピヒナーとヘッケルを出して、リードも出してさて第一声です。「変な音」がしました。自分の音では無いのです。ビービー言っています。ドキッとしました。低く吹くと、つまり楽に、吹くと自分の音に近い音が出ました。チューナーでチェックすると案の定低い!438Hzぐらいしか出ません。釈迦力になって吹いて440迄は上げられる様になりました。でも、音程は最悪です。442Hzにすると、アマチュアでも駄目なクラスの音しか出ません。鏡を出して見ました。

アンブシャーは作れていると思っていたのですが、それは酷いものでした。手術をした左側に唇が流れています。右側は正常なので唇は綺麗に赤い部分も見えるのに、左は巻き込み過ぎになっています。と言うより、巻き込むほど唇の筋肉が来て無いんです。だから縦の力が強過ぎて酷い音になるんです。自分の今迄の感覚が役に立たない訳です。出来ていたと思っていたのは「かつて」の記憶で「この」情況では違うんです。

術前に医者からある程度の危険性については言われていたし、自分でもある程度の覚悟出来ていたのだけれど、実際にこうした事になると想像を超えていました。医者にしてみれば「管楽器奏者」がどう言うものかは分かりませんし、分かったからと言ってより巧くとも行かないでしょうしね。やってみないと分からない世界ですから。済んだ事は仕方がありません。

この時痛感したのは、実に自分がファゴットを吹くのに向いた身体的条件を備えていたんだなあ、と言う事です。自慢では無いですが、音を出すと言う事で苦労した覚えがありません。タンギングは遅かったですがね。オクターブの跳躍も、音色も、高い音も、大きい音も指のテクニックは別にして楽にこなして来ました。だから、そうした事の出来ない人が、どうして出来ないのか分からない所がありました。こうなってみると、やはりそうした事を考えていなかった事が悔やまれます。皆に思わずメールをしてしまいました。

「(前略)ただ、手術は巧く行ったのですが顔面神経に多少のダメージがありました。医者は必ず戻ると言っていますが、ぐずぐずもしていられません。これから急いでリハビリです。筋肉が未だ硬直しているのと、神経の恢復が急務です。吹いて見ましたが、思う様に出来ません。アマチュアに戻った様です。事に寄ると遂に終わりかも知れませんが、とにかく頑張ります。(後略)」

それからは、どうやって自分の音を取戻そうかと試行錯誤でした。ピッチが上がらない事も問題でしたが、何より長く吹けません。10分の曲どころか2分の曲でも危ない。ヘッケルはとても無理なのでピヒナーでやりました。3日目くらいに少し薄明かりが射して来ました。とんでもないアンブシャーですが、右の正常な方だけで吹いてみたのです。もちろん持続して吹く事は出来ませんが、自分の音が出せないと、それだけで嫌になってしまいましたから。楽器を構える角度を変え、ストラップを換え、ボーカルを換え・・・考えられる事は全てやりました。あとは合奏で行けるかどうか・・・。

1週間目に(12月16日)指揮者が知り合いだったので手伝う事にした、あるアマチュアオーケストラの練習がありました。チャイコの5番。そこに紹介したヴァイオリンの子を引き連れて行ったのですが、どうにもまだ自信が無い。スケールをやっても、高い音はかなり意識しないとどっかに行ってしまいます。それに、音を意識し過ぎると指が分からなくなってしまうんです。練習中にも色々やらかしましたが、上のhが疲れると出せなくなった事とピッチがまだ低めだと言う事を除けば何とかなる事を確認出来ました。自信が無かった音程も何とかそれなりに取れました。まだPPは駄目ですね。人のオケをリハビリに使うのは申し訳無いのだけれど、お蔭でようやくアマチュアのレヴェルから抜け出せた様です。しかし、この後も苦難は続きます。

to be continued

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