さて、抜糸の件の前に「ボエーム」に付いて再考です。どうして、あのオペラは自分の心を捉えて放さないのだろう、と言う事です。

前回述べた事は、多少抽象的ですが的を外してはいないと思います。実は台詞の中に男と女の違い、男でも女でも違わない事が、実に巧みに織り込まれていて、それが音楽とあいまって2時間足らずのオペラに永遠の命を与えている。しかも、まあ世界中全部がどうかはともかくとして、ほぼ誰にでも理解出来るものになっているんですね。

バーンスタインがテレビで「ヤングピープルズ・コンサート」と、大人向けの「7つのオムニバス形式」と言う番組を制作(1954年)し、後者の中でボエームの3幕を取り上げています。彼もこの作品が好きだったのでしょう。題名は「何がオペラをグランド(大きく)にしているか」です。残念な事に番組を録画したものは残っていない様ですが、音楽の友社から出た「音楽の喜び The Joy of Music」(吉田秀和訳)と言う著書があり、台本とスチール写真が掲載されています。広く読んで欲しい名著ですが、絶版です。図書館にはあるようです。多分、神保町にも。

音楽がいかにして情況を雄弁に物語るか、台本の持つ力をいかにして何倍にもして瞬時に理解させる事が出来るか、などなど実に興味深く書かれています。話は単純であっても、その中に人生に大事なものを凝縮した台本(ジョゼッペ・ジャコーザとルイジ・イリカ)も見事なものです。今回英語版で見て(そんなに英語が出来る訳では無いけれど)、日本語の翻訳より男と女の心のすれ違いが分かりました。同じ事象を、二重唱で想いの違いや愛情の微妙なずれを表現し、瞬時に納得させるなんて、オペラでなければ出来ない技です。変らぬ友情と別離はメインテーマでしょうが、それに付随する一人一人の人生と人生観がたまらない魅力です。この人達はどう言う人間なのか興味を持たずにはいられません。もちろん歌手や演奏者のそれも投影されます。

そして幕は降り、カーテンコールで死んだ人も悲しんだ人も元気に、楽しそうに現れます。そう、全ては絵空事なのです。劇場と芝居小屋には「絵空事」に飾られ塗り込められた世界があります。しかし、その中に人生の喜怒哀楽の全てを観客は見るのです。近松の「虚実皮膜の論」はまさに真実なのです。ボエームにはそうした事を思わせる力があります。

人を傷付けたり、人に傷付けられたりしないで生きられる人はいません。しかし、それを恐れて人生の奥に足を踏み入れない訳にも行きません。常にお互いの思いの違いに悩み、苦しむのは仕方の無い事でしょう。そして変らぬ愛情、変らぬ友情は、それ自体絵空事かも知れない。でも人は多少の違いはあってもそうした美しいものを求め、持ってもいる筈なのだから、目の前の絵空事に涙し、感動し、カタルシスを得るのでしょう。音楽家や役者とはそうした事を演ずる人種なんです。だから観客は本能的に、下手なものを嫌うのでしょう。絵空事である事実を珍妙に見せられるのは、嘘で固められた人生をそのまま見せられた気持になるからなのでは無いでしょうか。だからアマでもプロでも最善を尽くし、舞台に立つ時は最高を目指さなければいけないのでしょう。自分にそれが出来ているかどうかは、さて置きですが。

2001年は私に取って辛い事のあった年でした。ある事で、頭と心を解放する事が出来ない時間が煉獄の様に続いたのです。自分も傷ついたし、まわりも大変だったでしょう。心は限りなく弱くなり、混乱の中にありました。絶えず揺れる心に救いはあるのかと思い、1日がとてつもなく長く思えたりしました。しかし、11月の演奏会ではそうした事が自分の音楽を止揚している事に気が付き、今迄の自分を越える演奏に出来た気がしています。まあ、人生に無駄は無いと言う事なのでしょう。苦しみは何かを産み出す力がある様です。それに、とても素敵な人とも出逢ったし、それで自分を取戻す事も出来たんです。取戻した自分はちょっと嫌味で、少しキツいかも知れないんですが。まあ、それも一興。

実に病院で見た「ラ・ボエーム」は色々な事を考えさせ、何かをもたらした訳です。見ていない皆さんは、必見です。「キャメロット」に付いてはまたの機会に。

さて、抜糸です。実は耳の神経は切ると、最初から言われていて、今は範囲が狭まったのですがこの頃はその辺全体がしびれてました。だから何をされても、さして痛くは無かったのですが、抜糸かと思ったらいきなりドレーンチューブを抜かれました。これは結構痛かった。アゴの下から耳のところまで20センチは入ってましたから。チューブの形で顔がしばらく腫れてました。で、抜糸も終わり顔を見ました。う〜ん、顔が曲がってるし凹んでる。医者は必ず戻りますよ、と言うのですが結構ショックなものです。笑っても左半分が引きつって笑っていません。竹中直人が昔やっていた「顔の半分だけ怒る男」みたいです。嬉しかったのは、ガーゼも張った紙も外せて頭が洗える事。退院も次の日に出来る事になりました。半分の日程でこの難局を乗り切った訳です。まだ元気で回復力があるという証明にはなりました。ただ、この後紙を髪から剥がすのが大変でした。ベンジンで取れると言うので若い看護婦に頼んだら全然駄目で、結局よく切れない挾でそこをとら刈りにされました(笑)。それから頭を洗いました。ああ、気持の良い事。酷く伸びたヒゲも剃り、ようやく人心地がつきました。それから町に出てコーヒーを飲み、娑婆を満喫して病室へ戻りましたが、この後に来る恐ろしい出来事にこの時は気が付いてはいませんでした。

to be continued

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