菅原先生のレッスンを受ける様になって、何年目ぐらいでしょうか。先生にこう言われた事があるのです。「森川君、プロを誉めちゃいけないよ。プロは上手いのが当たり前で、誉められたって嬉しい訳じゃないんだから。」

なるほど、プロはそう言うものなのか、と私は信じました。それ以来プロを誉めちゃいけないと思い、ついでにアマチュアも誉めない様になり、嫌味な事を言っていました。(アマチュアの)演奏会の後の飲み会でも文句ばっかり言って、全く如何しようも無い奴でしたね。プロになってからも傾向は変りませんでしたが、酒を飲まなかったので打上げその他には出なかったから、実害は無かったでしょう。最近はそういう事は無いんですが、時折本性が現れるのは仕方が無いですねえ。

しかし、本音を言えば「誉められるのは、誰だって嬉しい」のです。演奏会の後で、悪く言われるのは望ましい事では無く「おぞましい事」です。それが分かるのに時間がかかったのは、若さゆえ突っ張っていたんでしょうね。分からないのでは無く、分からない様に振舞っていたんです。身に覚えのある人はいるでしょう?かのフルトヴェングラーでさえ、演奏会の後には、最初に自分のコックに「今日の演奏はどうだった」と訊き「良かったですよ」との答えに安心したそうです。音楽家の神経はガラスみたいなところがあるんです。周りが誰一人として認めなければ、生きては行けません。でも、一人でもいてくれれば、やっていける世界でもあります。もっとも、それでは稼ぎになりませんが。

誉められて困った事もあります。自分じゃ特別な事もしていないのに「良かったわよ」と練習で言われると、さて本番でどうして良いのか分かりません。つい力んで、結果は余り良くなかったりして。「誉め殺し」と言う訳では無いんですが、結果的にそうなる訳です。それに、自分が誉められれば必ず良く思わない人はいます。これも始末が悪い。でも、音楽をやっていて「誉めてくれるな」とは言えません。痛し痒しですね。

誉められて嬉しかった事は沢山ありますが、その中で印象的だった事や特に嬉しかった事を述べましょう。結局のところ、自慢話ですから嫌な人は読まないで下さい。ただ誉められ方にもいろいろありましてね、人と言うのは面白いですよ。

プロの人の誉め方と言うのは、ダイレクトじゃない事が多いですね。何を言われたのか一瞬分からなかったりします。Mさんと言う、かつて日フィルのコンマスをしていた人から、仕事の時にトイレで二人になったら「良い楽器ですね」と言われました。「はい、○○番のヘッケルですから、ちょっとした楽器なんです。ヘンカー先生が...」と答えるといいのかなと一瞬思いましたが、まさかね。要するに「良い音してるじゃん」て事です。こうした誉められ方は良くありました。取り敢えず、「有り難うございます」と答えるのが正解なんですが。まあ、ダイレクトに誉められると照れて吹けなくなる事もあるので、この方がいいのかもしれません。

特に嬉しかったのは、やはり先生がらみです。菅原先生から行く様に言われてN響団友オーケストラと言う所に行っていました。時折、先生と演奏する機会が当然ながらあります。ある日、N響OBでチェロのHさんが、先生に「ケセラー(菅原先生のニックネーム)、良い弟子持ったねえ」と言って下さいました。また、ヘンカー先生の公開レッスンで急遽吹かされて往生した後の会食でですが、先生自身から「森川君、僕ね1週間練習したら森川君より上手く吹く自信はあるよ」との言葉。嬉しかったですよね。先生が初めて認めて下さった訳です。

常松さんの事は既に他の所に書きました。ファゴットの山畑先生の、日本のハープ界の草分けでいらっしゃる奥様(亡くなられましたが)とは仕事で良く一緒になり、嬉しい言葉を度々掛けて戴きました。「森川さんは、いつも綺麗な音でいいわねえ」などと。山畑先生の奥様ですからねえ、他の人から言われるのとは違います。それから、妻の先生である松浦先生の還暦の会でファゴットを吹く事がありました。その後で、奥様(ソプラノ歌手)から「森川さんは色々な音を持ってらっしゃって、本当に良い音楽家ですね」と、この上ないお誉めを戴きました。歌手は自分の歌と合わない音を嫌う訳ですから、ヘンカー先生から言われた「オペラのオケが何であるか」を多少は実現出来たと思えました。

さて、ここで特徴的なのは音を誉められる事が多かった事です。管楽器は詰まる所「音」ではないかと、やはり思うのです。そう言う意味では自分の考えが間違ってはいなかったと思うのです。でも、嬉しいんだけれど、複雑な気持ちになった事がありました。それは、ある日コントラバスの人に「あなたは良い音してるねえ、いつも感心するんだけれど、サックスみたいに良い音だ」と言われた時です。「サックスみたい」に吹いている訳ではないし、サックスから転向して気持ちの悪いヴィヴラートをかける奴が大嫌いだった事もあり、まあ複雑でした。

さて、実は誉められた事を自慢するのが、この文章の主旨ではありません。誉められる事は、実は恐い事だと言いたいのです。スポーツを考えて下さい。自分の最高の記録は何時でも出せる訳ではありません。でも、他人は何時もその状態を望むし、駄目だと露骨に「あいつは駄目になった」と思うものです。音楽だって、何時でも最高に良い演奏が出来る訳はありません。でも、誉めた人は同等かそれ以上を次にも望みます。これは辛い。先にも述べた様に、自分では特別な事をしているつもりが無いので、その時点では何処をどうしたら良いか、本当は分からないんです。それが分かるのに時間がかかるのです。多少そう言う事に鈍感な方が、平気でいられて良いのかも知れません。

コンクールで1番をとって、その後おかしくなる人は少なくありません。比較的にそうした事が欧米人に少なく、日本人に多いのは我々が彼らよりセンスィティヴだからです。十代でコンクールを制すれば、元々伸び盛りなので、更に先に進む事は比較的楽でしょう。それでも、迷いが出る年齢になった時に、天才かバカでなければ、そうした壁の存在に気付きます。また、気付けなければいけないとも思うのです。何れにせよ、一人で道を切り開きながら歩くのは大変です。音楽だけで無く、全ての事でそう言う危険は伴います。一つ良い仕事をすれば、次はもっと良い仕事を期待されます。

アマチュアであっても、少なからずそうした事はあるでしょう。もちろん、プロの世界の様に生活を賭けるほどシヴィアではなくても、ですが。

そうした時に、我々はどう行動したら良いのでしょう。答えは一つしかありません。自分の信じる音楽をする事です。それを求める事です。ただし、独善に陥らない事が絶対に必要ですが、そう出来るかどうかは難しい事です。人との軋轢に耐えながら、そうした道を行くのは楽ではありません。共に歩いてくれる人、仲間が必要です。そうした仲間が集まらなければ、独善に陥っているのかもしれませんし。ピアノと違って一人で出来ない事をしているのですから、何故そうするか、を言葉で説明できるくらいに自分の音楽、進む道が分からなければ駄目です。言葉を発する度に違ってはいけません。自分が間違っていると思ったら素直に認め、自分はそんなものだと納得する気持ちも必要です。案外アマチュアの方が頑固だと思う事があります。自分もそうでしたからねえ。単に、ものを知らないから強気でいられるのは、人生全般に言える事です。私も自戒する様にしていますが、多分出来ていないでしょう。

論を尽くした訳ではありませんが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

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