常松さんを偲んで

'86 ルーテル市ヶ谷センター

ブラームスのピアノ三重奏曲第1番冒頭を練習中

常松之俊氏と聞いても、知らない人が殆どでしょう。それは仕方の無い事です。でも、このHPを見ている方々には記憶に留めて戴きたいのです。

氏は、かつてN響のチェロの首席奏者を務められた方です。実は、いわゆる音楽学校を出ていらっしゃいません。立教の英文科の御出身です。

しかし、NHK・毎日(現・日本音楽コンクール)コンクールでチェロ部門第1位を得られN響に入団されました。日本の音楽界を今日に至らしめた人物達のおひとりです。また、私が大きな影響を受けた先達のおひとりでもあります。Rシュトラウスの「ドンキホーテ」の日本初演のソロなど多くの初演も手掛けておいでです。

私が氏にお目に掛かったのは、既にN響を退団されてからでした。もう、18年(1999年現在)になるでしょうか。N響団友オーケストラが出来て、菅原先生の紹介で呼んで貰えるようになった時です。静岡への演奏旅行でしたが,子供の頃にテレビで見た演奏者と一緒で流石に緊張しました。

同じくルーテル市ヶ谷センターにて

当時、私も常松さんを存じ上げず「えらく良い音で、上手い人がいるなあ」と言うのが印象でした。

演奏後、私の所にいらっしゃって「音が素晴らしいし、音楽的だ」と誉めて下さいました。嬉しかったですねえ。その後も、何かと気を遣って下さり、そうした事の一つ一つが、現在も私がファゴットを続けていられる力になっています

とても魅力的な人で、背が高く、ハンサムで、若さを失わず、話も面白く、一緒にいて楽しかったですねえ。「常さん」と皆、親愛の情を込めて呼んでいました。若かった私でも、そう呼びたくなりました。偉ぶらず、ひょうひょうとして「自分もこうなれたら」と思ったものです。ただ、凄いヘビースモーカーでしたので、健康面では心配していました。

私の室内楽の演奏会にも出て戴きました。最初の音から「常さん」なんです。オーケストラで演奏していても、つぼにはまると誰も勝てません。世界一だと本当に思いました。「日本人は個性が無い」と言いたがる、なにも知らないへっぽこ評論家に聴かしてやりたいですねえ。

恵比寿にあるスタジオでブラームスを練習中。ヴァイオリンは山中光氏

その後残念な事に、常さん以外との人間関係から一緒に演奏する事が無くなってしまいました。年賀状のやり取りは続いて居たのですが、ここ1年程(1998年に)お加減が悪いとは聞いていました。

松戸で「森の室内楽」があった6月27日(1999年)に、肺気腫で息を引き取られました。81歳。常さん以外にも鬼籍に入られた方々がおられます。残念ですがこればかりは止めようがありません。

でも常さんは、あちらでもチェロを弾いているに違いありません。常さん、こんど会ったらモーツァルトを一緒に弾きましょう。

追記 2000,9.29

常松さんの遺影との対面を果たしました。大澤さんと言う常松さんのアマチュアのお弟子さんと共にお宅にお邪魔して、奥様と生前の想い出を話して来ました。長年のつかえが取れた様です。大澤さんはこのHPを見てメールを下さった方で、無くなってからも常さんに引き合わせてもらった様です。

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