マッカーサーによる「上からの革命」

このページは 第二次世界大戦後の日本を統治した ダグラス・マッカーサーについての考察です。

1945年8月15日 日本の無条件降伏で終戦となった時に 私は未だ4歳半でした。 それからの
約半世紀は 平和と経済発展で特徴づけることができ 日本の長い歴史の中でも希有な期間と
言えます。 こうした希有で恵まれた期間に育つことが出来たことは 幸運でしたが 振り返って
みると 敗戦後の日本を救世主的な熱情と強力な個性で導いた ダグラス・マッカーサーのお陰
とも言えます。

最近 自分史を書く人が多いと聞きます。 私個人の自分史を書くことは恥ずかしいので 将来も
無いでしょうが 60才を超え自分の過ごしてきた時代を振り返ると 我々の世代は良くも悪しくも 
所謂「マッカーサーの子」として育てられたのだと思います。 そんな時に読んだジョン・ダワーの
「敗北を抱きしめて」(Embracing Defeat)は自分が育った時代背景を理解する上で実に興味深い
ものでしたので 私のHP「私のプロフィール」の中でお勧めの一冊として紹介しました。 この本が
日本でも大評判になっていることに着目した米国の新聞 The New York Times は 日本人
で読んだ5人を選び座談会を行い 平成14年2月2日の文化欄に 「An Outsider Teaches Japan
About Itself」と題する記事を載せました。 座談会出席を依頼された私(実名)の発言が写真入りで
載っていますので 興味あれば図書館で探し読んでください。 

マッカーサーについて考察したこのページは 座談会出席に備え あれこれ考えたことがベースと
なりました。

(注: 切手写真はマーシャル諸島発行のもので I shall return と I have retuned が対になって
います。 I will return にすると意味が異なることは 英文法で勉強されたと思います)
 
1. 「上からの革命」を可能にしたもの

全米だけでなく日本でも大変な反響を呼んでいるピュリッツアー賞受賞作ジョン・ダワー著「敗北を
抱きしめて」には 勝者による「上からの革命」に 敗北を抱きしめながら日本の民衆が力強く呼応し
喜んで受け入れた様が詳しく書かれています。 

敗戦は 改革を進める上でめったに無いチャンスであり マッカーサーは日本人には成し得なかった
理想主義にも似たさまざまな改革を 「上からの革命」という形で使命感を持って強力に実行して
いきました。 

革命というのは 下から起こされるもので 「上からの革命」などというものは他に例がありません。
日本はポツダム宣言を受諾し 無条件降伏しました。 天皇と日本国政府は 連合国最高指令官
に従属することとなり 連合国最高指令官(Supreme Commander for the Allied Powers=SCAP)
に任命されたダグラス・マッカーサーが 日本を統治する最高権力者となりました。 マッカーサーが
矢継ぎ早に実行した 陸海軍と軍事工廠の廃止 戦争中に要職にあった者の公職追放 基幹産業
の民営化 政党政治の復活 検閲制度の廃止 治安維持法の撤廃 司法制度の改革 政治犯の
釈放 婦人参政権の授与 労働組合の奨励 学校教育の自由化 国家神道の廃止 財閥の解体
家督相続の廃止 農地改革 新憲法制定などの一連の改革は 日本の旧勢力(今で言えば
抵抗勢力に相当)にとって 革命にも等しいものでした。  旧弊を打ち破った民主化は 一般国民
にとって開放であり 占領軍は解放軍として受け入れられました。

このように大胆な革命的改革を可能したのは 連合国最高司令官としてマッカーサーが 天皇
及び日本政府より上の存在として 統治する権力を持ったからです。

天皇とマッカーサーのどちらが大きな権力を持っているか 一目瞭然となったのは 1945年9月27日
天皇とマッカーサーが初めて対面した時の有名な写真です。 マッカーサー最高司令官は
開襟シャツに勲章もつけず 両手を腰にあて少しだけ肘を張って 気楽といった姿勢で(長身から)
天皇を見下ろすように立っていたのに対し 天皇は礼装のモーニング姿で緊張して立っていました。
この写真は マッカーサーの確固たる権威を広く印象づけた意味で 写真の公開を決定し広報活動
に巧みだったマッカーサーの気転の現われでした。 不敬と判断した内務省は 写真を掲載した
新聞の回収を試みましたが 総司令部GHQに制止され 報道の自由が確認される結果となりま
した。

多くの日本人に この写真は 日本の敗北とアメリカの支配を強く実感させましたが 天皇の
かたわらにマッカーサーが立ったことで 英語の表現「MacArthur stands by the Emperor」が
意味する「マッカーサーがいつでも天皇の力になる」つもりであることも 明らかとなりました。
天皇は占領期の猥雑な「なぞなぞ」の標的にもなり 例えば

  「マッカーサー元帥はなぜ日本のへそなのか?」 → 「チン(朕=天皇)の上にあるからだ」

というようなものでした。 「上からの革命」を助けた他の要因として重要なものに マッカーサーの
カリスマ性があります。 マッカーサーは 天皇を除く日本人と一緒に写真に撮られたり 接触する
ことを意図的に避けました。 自分と同格で写真に納まることが出来るのは 日本人の中では天皇
のみだという強烈なメッセージを与えると共に その姿を日本人の目から隠すことによって 神秘性
と権威と人気を高め 畏怖される存在となる演出に成功しました。 1946年元旦に「人間宣言」を
した天皇が神の座から降り 代わりにマッカーサーが神にも等しき存在となり 一切の批判を許さ
ないカリスマ的イメージを定着させました。

2. マッカーサーの諸改革

マッカーサーが日本を統治したのは 1945年8月30日から1951年4月11日までの約5年半でした。
アメリカ主導で占領され日本が国家主権を失っていたその間 マッカーサーの諸改革に対し
日本人がどう反応したか 先述のジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」の中から 皆さんが興味を
持たれるであろう いくつかのポイントを以下に紹介します。

1.占領軍は言語能力と統治能力に欠けていたので 既存の統治機構を通して関節的に統治する
  しか選択の余地がなかった。 マッカーサー元帥による「政府の上の政府」は 命令の実行を
  日本の(非民主的であった)官僚組織に依存した為に 二重の官僚組織ができあがった。
  占領軍が去ったあと日本の官僚機構が存続したが その非民主的な官僚制は戦争中より強力
  にさえなった。
2. 社会的混乱を避け占領軍による統治を効果的に行う為に マッカーサーは天皇の権威に依存
  する方法をとり 天皇を新しい民主主義の指導者と称えた。 天皇の戦争責任だけでなく
  天皇の名において残虐な行為が行われた道義的な責任さえも 全て免除する決断をした。
  国家の最高位にあった政治的・精神的指導者でさえ責任を負わないなら 「戦争責任」について
  一般国民は真剣に考える必要はないだろうという風潮をもたらした。
3. 「平和に対する罪」と「人道に対する罪」を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)が召集され
  る前に マッカーサーのスタッフと日本の官僚は日米の共同作業として 決して天皇を巻き添え
  にしないよう 戦犯リストに載った人に天皇を守る為にどんなに些細であっても戦争責任を天皇
  に負わせることのないよう協力させた。
4. 新憲法制定は 当初 日本政府に松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会が設置され
  日本側で案を作成することをアメリカ側も期待していた。 しかし委員会は明治憲法にこだわり
  内容があまりに保守的 現状維持的で 新国家形成に必要なビジョン 政治的識見 理想に
  欠けるもので国民の失望をかってしまった。 マッカサーは日本自身による作成を断念 GHQ
  民生局にアメリカ人だけのスタッフを集め1週間で作成させGHQ草案として提示した。
5. GHQ草案の内容について マッカーサーは 天皇制維持を戦勝国に納得させ 東京裁判で
  天皇を戦犯として裁かせない保証になると判断した。 かくして 主権在民 象徴天皇 
  戦争放棄 基本的人権の尊重などを織り込んだ新憲法が1947年に制定された。
6. 新憲法の第9条について問題となったのは 自衛権まで放棄するかということであった。 
  吉田首相は 交戦権のみでなく自衛権も放棄するものであると解釈したが 自衛目的の戦争
  まで禁止されているかどうか曖昧なものとした。 その後 朝鮮動乱が起こり ソ連 中国と
  冷戦時代にはいり アメリカは日本が後方支援に必要な武装をすることを望み 憲法改正なしに
  1950年には警察予備隊という実質的な軍隊が発足し 着々と戦車 軍艦 飛行機が増強整備
  された。
7. 吉田茂首相と仲間の保守主義者は 占領軍の改革に批判的で 占領軍が去ったあと見直し
  たいと願っていた。 占領軍GHQが文字どうりGo Home Quicklyとなることを願っていたが
  一度決まってしまったものを後で変えることは困難となった。 吉田茂はマッカーサーを「日本の
  恩人」と賞賛したが それは日本に民主主義をもたらしたからではなく 天皇を擁護し天皇制を
  維持してくれたからであった。 吉田首相は 占領が終わた時点で憲法改正をすればよいと
  考えたが 平和憲法として国民に広く受け入れられたものの改正は難しくなった。
8. 1951年4月 トルーマン大統領に突如解任され帰国したマッカーサーという老兵は 本人が
  予想しなかったほど急速かつ無様(ぶざま)に 日本人の意識から「消え去」っていった。 
  原因は同年5月 上院の聴聞会に出席し「近代文明の尺度で測れば われわれは45才で成熟
  した人間であるのに比べると 日本人は12才といったところ(like a boy of twelve)」という
  マッカーサーの発言だった。 このたった五つの英単語は執拗なほど注目を浴び 日本人の顔を
  平手打ちにしたように受け止められ マッカーサーは日本人の記憶から排除された。 しかし 
  これは日本人の誤解であり 「ドイツ人に比べ日本人は12才の子供のように指導に対し柔軟で
  新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかったので 戦後の民主化や改革を成功させたが
  同じことをしてもドイツでは成功しなかった」というのが趣旨で 日本人を揶揄したものでは
  なかった。

「敗北を抱きしめて」が日本でも大評判となったのは こうした指摘を読んで 「あ! そうだったのか」
と初めて知った人が多かったからだと思います。。 

3.マッカーサーは日本に何を残したか?

マッカーサーが去ってほぼ半世紀 彼は日本に何を遺したのでしょうか?

マッカーサーが連合国最高司令長官に着任した1945年は 日本の歴史の中で 疑いもなく分水嶺
となった年であり その重要性は 封建国家が廃止され新たに明治政府が樹立された1868年に
匹敵します。 マッカーサーの革命的諸改革は 今の日本を形作る上での最大の遺産として残され
ています。 アメリカの占領政策は 経済力を背景とした寛大なもので 賠償金を請求することもなく
逆に経済援助を与え 戦後の急速な復興と経済発展に寄与しました。

評価できる多くの遺産を残した一方で マッカーサーは色々な矛盾や問題を現在に残しています。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』は 対日戦争終結を目前にして 日本の
戦後処理政策決定のために アメリカ陸軍局の委嘱を受けて1944年に書かれたものです。 その
中で日本人は「権威に対して従順に反応」すると書かれていますが マッカーサーの「上からの
革命」により 権力を受容するという日本人の社会的態度は更に強いものになりました。

マッカーサーの統治下でもたらされた言論の自由は 公の表現活動の隅々いたるまで検閲を乱用
した官僚機構により 厳しく野放図に取締まられました。 民主主義を専制的な方法で実現した 
検閲民主主義とも言える思想統制は 圧倒的な権力に盲従することや 押し付けられた振る舞い
に順応することを戦後の日本人に教え 沈黙と大勢順応こそが賢いとする政治的知恵と集団的
諦念を助長しました。 連合国最高指令長官による新植民地主義的な上からの革命という変則的
な事態は 両刃の剣となり 進歩的な改革を推進した反面 権威主義による圧政も同時に行われ
ました。
 
占領軍という官僚組織は 「政府の上の政府」として 命令の実行を日本の(非民主的であった)
官僚組織に依存した為に 二重の官僚組織ができあがりました。 日本の誰に対しても説明責任
を全く負わず「透明性ゼロ」だった占領軍が去ったあと 日本の官僚機構はそのまま存続し その
非民主的で「透明性ゼロ」の官僚機構は戦争中より強力にさえなりました。 占領軍に保護され 
その役割と権威を高めた結果 官僚という特権階級を作り上げ「官尊民卑」という旧弊を残しました。

「和をもって貴し」とする聖徳太子以来の伝統は 全会一致を重視し「誰も責任をとらない」世界
です。 戦後 「一億総懺悔」と言われ 日本の起こした戦争責任について国民全体が負うことに
なった結果 正に「Everybody's responsibility is nobody's responsibility」と言われる如く 戦争は
誰の責任でもないのだ という無責任な帰結となりました。 新憲法第9条について 吉田首相は
交戦権も自衛権も放棄するものであると明確な解釈をしましたが 自衛目的の戦争まで禁止される
のか曖昧にしたまま 憲法改正なしに拡大解釈が重ねられてきています。 事の本質を明確にせず
曖昧なままにするのは 生まれながらにして持つ日本人の性格とは言え マッカーサー時代の 
天皇を守る東京裁判や憲法を骨抜きにした警察予備隊という実質的な軍隊の発足などと 無関係
でありません。

4. まとめ

マッカーサーによる「上からの革命」は 評価できる面が多かった一方で 色々な矛盾や問題を現在
に遺しています。

日本経済は 現在 バブル経済崩壊後の「失われた10年」から決別できぬまま デフレ色を強め 
閉塞状況に陥ったままであり 世界恐慌の震源になるのではという悲観論も出始めています。 
行政改革・政治改革が進まぬまま 官僚は省益 政治家は個益にしがみつき 政治に対する国民
の関心は低いままです。 始まったばかりの日本の21世紀は 平和と繁栄よりも 果てしない混乱
の方が はるかに有り得る不吉な予感を漂わせています。

しかしながら 現在の日本が直面している深刻な状況について マッカーサーが去って半世紀も過
ぎた今でも 彼に一端の責任があるとするのはフェアでありません。
                                            
日本の社会は民主的に一見みえますが 実際はリーダー不在の無責任な談合社会です。 
既得権益者の代弁者となってしまった既成政治家や官僚に 国民は絶望しています。 21世紀を
迎え 今こそ 明治維新 敗戦後の改革に匹敵する 思い切った大改革を強力なリーダーのもとで
行い 日本を変えなければなりません。 こうした状況は 戦後 マッカーサーと占領軍による大胆な
改革を期待した当時の民衆と ある意味で似た状況にあるのではないでしょうか。 

この項の終わりに エピローグ代わりに「マッカーサーの机」について記します。

「何事も即断即決したマッカーサーの机には引き出しがなかった」 というのは良く知られた話です。  
先日 有楽町にある第一生命本社を訪問した後 ついでに6階にある「マッカーサー記念室」に寄り
ました。  GHQマッカーサー元帥の執務室が当時のまま保存されており 引き出しのない机も展示
されていました。 第一生命の説明パンフレットによると マッカーサーの使ったという机は連合軍が
第一生命ビルを接収する前に 第3代の石坂泰三社長が使っていたのをマッカーサーがそのまま
使ったということでした。 

マッカーサーの即断即決と引き出しのない机が あたかも同意語の如く言われていますが 石坂泰三
社長の執務室を接収し そこにあった机をそのまま使ったというのが真相で 即断即決のマッカーサー
と引き出しのない机の因果関係は直接なかった というのが正しい解釈ではないでしょうか。
マーカーサーの仕事振りや性格を知る上で 「マッカーサーの机」についての逸話は よく出来ており
面白いと思いました。

マッカーサー記念室には 座右の銘であったSamuel Ullmanの「YOUTH(青春の詩)」が掲げられて
います。 詩の内容は以下です。

"YOUTH" Samuel Ulman

Youth is not a time of life -it is a state of mind ; it is a temper of the will, a quality of
a imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity,
of the appetite for adventure over love of ease. Nobody grows old only by deserting
their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry,
doubt, self-distrust, fear, and despair ― there are the long, long, years that bow the
head and turn the growing spirit back to dust.  Whether seventy or sixteen, there is in
every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the
starlike things and thoughts, the undouted challenge of events, the unfailing childlike
appetite for what next, and the joy and the game of life. You are as young as your
faith, as old as your doubt; as young as your self-confidence, as old as your fear,
as young as your hope, as old as your despair. So long as your heart receives
messages of beauty, cheer, courage, grandeur, and power from the earth, from man
and from the Infinit, so long you are young. When the writer are all down and all the
central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of
cyncism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.


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     参考文献:    ジョン・ダワー著 「敗北を抱きしめて」(上下) 岩波書店
                 工藤美代子著 「マッカーサー伝説」 恒文社21
                 小島準ほか著「マッカーサーの日本占領」 世界文化社
                 シェリー・S・マイダンス著 「マッカーサーの日本」講談社
                 榊原夏著 「マッカサー元帥と昭和天皇」 集英社新書

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