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大湯環状列石:〔51〕十和田湖の噴火とは?

△十和田湖の地質・火山活動
参考(引用):社団法人「日本水産資源保護協会」
 
 十和田湖周辺の基盤岩は、新第三紀凝灰岩類(グリーンタフ)で、カルデラの北壁と 西壁に露出しており、これを第四紀の八甲田火山及び十和田火山の火山噴出物が広く覆 っている。カルデラ形成前の十和田湖は、非火山性山地であったと考えられる。
 
(石ヶ戸火砕流−50万年前)
 八甲田火山から50万年前に流下した石ヶ戸(いしげど)火砕流堆積物が、湖の南岸 と東岸に露出している。石ヶ戸火砕流堆積物は溶結して堅固で、銚子大滝をはじめとす る多数の滝を作っている。発荷(はっか)峠と青ぶなには、石ヶ戸火砕流堆積物の上に 生じた火山の残骸が認められることから、カルデラ形成前には、十和田山や十和利山 (とわりやま)に似た中型の円錐火山があったと考えられる。
 
(十和田湖陥没カルデラの形成−4万3千年前〜1万3千年前)
 4万3千年前の奥瀬噴火(奥瀬火砕流)によって十和田湖から噴出したマグマの量は 100億tで、3万年前の大不動噴火(大不動火砕流)と1万5千年前の八戸噴火(八戸火砕 流)では、さらに多い500億tがそれぞれ噴出した。
 これらの噴火により十和田湖陥没カルデラが形成された。これらの噴火では、石英安 山岩質のマグマが噴出した。
 八戸噴火後まもなくカルデラ南部で噴火が再開し、SiO2含有量が18%も低下した玄武 岩が噴出した。
 玄武岩マグマの噴火は1千年ほど続き、五色(ごしき)岩火山を形成した。1万3千年 前ころから、噴出するマグマのSiO2が増えはじめ、石英安山岩に戻った。これに対応し て噴火間隔があくとともに、爆発的になり、高い噴煙柱をつくって軽石や火山灰を広範 囲にまき散らすようになった。
 
(瞰湖台、中湖の形成−9千500年前〜6千300年前)
 9千500年前の南部噴火の堆積物が、瞰湖台(かんこだい)に露出している。6千300年 前の中掫(なかせり)噴火では、70億tのマグマが噴出した。
 中掫噴火末期に、五色岩火山の北側火口壁の一部が切断されて外湖とつながり、中湖 (なかのうみ)が生じた。
 
(毛馬内火砕流−1千年前)
 915年8月17日に起こったと考えられる毛馬内(けまない)火砕流の噴火は、平安時代 に書かれた『扶桑略記』に記述されている。この噴火では50億tのマグマが噴出した。 この噴火は、過去2千年間に日本で起こった噴火のなかで最大規模である。毛馬内火砕流 は、極めて高速で四方に広がり、五色岩火山の上に開いた噴火口から20km以内のすべて を破壊した。
 毛馬内火砕流の上には、火山灰を多量に含む熱い入道雲(サーマル)が発生し、上空 の風で南へ押し流され、仙台市上空まで達したとされている。
 
※『扶桑略記(ふそうりゃくき)』とは、平安末期に書かれた歴史書(皇円著)で、神 武天皇から堀河天皇までを漢文・編年体で記している。
(H18.01.29)
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