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大湯環状列石:Aどこに住んでいたのか? |
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△「万座」の意味するもの ところで、「万座」は「よろずのくら」と読むことも出来る。その意味は、沢山の岩山 と云うことになる。 万座とは、そこは沢山の大きな岩山であったとしたら、どうであろうか。 因みに、 @巨大な岩石で作られる断崖絶壁のことを、「くら」と呼んでいる。 A岩山が巨大で、厳かで、神神しければ「磐座(いわくら)」と称し、そこは神の御在所 として崇められている。 さて、本項導入で指摘したように、 「関上・集宮・万座を結ぶ線より上流(いわゆる大湯扇状地)は、"せき止め湖"であったとも」 であったことが、改めて推理されよう。 集宮から万座一帯は岩石地帯で、大湯環状列石に係わった人々は、そこを絶好の居住地(若しくは中心地) と見定めて住んでいた。 ところが、たび重なる十和田湖噴火による土石流や洪水で、段々"せき止め湖"が決壊してゆき、 とどめとして、いわゆる「毛馬内火砕流」によって、居住地一帯は岩山もろとも流出した。わずかに、 今に見られる集宮の小さな岩山が残るのみとなった……… 「万座」の名称は、何時名付けられたのであろうか。 「集宮」 (H18.02.14)
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