松館は粘土の産地として、鹿角では有名であった。冬期間になると、
小坂鉱山や尾去沢鉱山へ、毎年、毎日毎日、何台もの馬橇が列をなして
粘土を運んだ。
この粘土は、溶鉱炉の(耐火)レンガとして用いられた、と云われている。 粘土(壁とも)は、柔らかい岩石混じりのもので、三ノ岳の山腹、いわゆる 「二番地」から産出する。国有林野ではないので、採掘許可も必要なく、また 地上の産物なので、鉱区を設定する必要もなかった。 採掘現地には、今でもトロッコ用のレールが積まれている。 @粘土は、ここから掘り出し、 A山麓まで人橇で山出しし(丸堤の上ミの林に中継地があった)、 B字松館48番地(現桜田家の宅地内)にあった中継所 (しょうりょうば。称量場とも、秤量場とも)まで人橇で運び、 Cそこから、各鉱山へ馬橇で運ぶのであった。 一家総出の作業で、まるで共同作業のようであった。 私も、AからBまでの区間を、兄か誰かの橇曳きを手伝ったことがある。 Bの中継所には建物があった。 このように、松館には冬期間でも、テマドリ(手間取り。賃金労働) の仕事があったので、経済的には恵まれたようである。 であるから、雪焼けした松館の主婦たちは、花輪の呉服屋のお得意さんであった。 「黒く焼けた人を見たら、それは松館の人だから、大事にもてなせ」 と呉服屋たちが言っていたとか……。 ※「三ノ岳の石山」参照 ※「松館のかべ山探索」参照 |
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