「松館今昔:菅原神社のこと」

三帝山松舘寺とは

 前掲「神社の維持管理」の項で、
 「@精長卿が天満大自在綱乘天神宮を造営したとき、三帝山(三台山とも)松舘寺 (法光院法印)が別当を仰せつかった。」 とあることについては、「松舘天神宮縁記」に記されている。
「松舘天神宮縁記」参照
 
 そのことを、今少し詳しく説明している文書に「奉仕社頭之儀明細書上帳」 がある。
「奉仕社頭之儀明細書上帳」参照
 この中に、
 「その昔、当村の郷士舘主松舘瀬左衛門の三男櫻丸と云う者がおりました。 櫻丸は、幼少より神仏の信心が深く、出家を志して遂に家を出て、 羽州羽黒山に籠りました。
 羽黒山の雲林院の弟子にさせていただき、名を櫻眼坊盛教と改めました。 治安元年(1021)春より御本坊に誠心して仕えました。字法に励み、 昼夜怠りなくお仕えすること三ケ年、その間同年七月廿日入峯修行を仕え、 同八月朔日権大僧都櫻眼院盛教法印より補任状を授与され、 別当祈願の号を請けられました。
 其の後、別当、羽黒山(山形県)に登山し信心の徳に仍て、新に三帝山松舘寺別当の 号を賜り、永く寺務繁栄にして長久たり、今三台山松舘寺法光院、是なり。」
とある。
 
 松館集落の南、黒沢川に架かる橋の辺りを「坊の前」と云っているので、その付近に 「三帝山松舘寺」があったとされている。
 その後、現在の「字松館54番地」に移転し、明治時代には、命により神道にのみ奉仕 することとなった。

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