12 奉仕社頭之儀明細書上帳

                    この「奉仕社頭之儀明細書上帳」は明治三
                   年午二月、いわゆる神仏分離の命令に関して、
                   SYSOPの四代前に相当する櫻田守人大人が、当
                   時の江刺県花輪御役所宛に差し出したものの
                   原稿です。
                    本稿は、それを元に抜粋し要約したもので
                   す。               SYSOP
 
「奉仕社頭之儀明細書上帳」(抜粋・要約)
 
一、天滿大自在天神(現菅原神社)(詳細省略、以下同じ)
一、同社末社
  一、琴平大神
  一、八坂大神
一、山神社
一、高瀬大明神
一、駒形大明神
一、大原大明神
一、正一位榮壽稻荷大明神
一、八幡大神
一、大原大明神
一、八幡大神
一、平野大明神
一、正一位稻荷大明神
一、勢田大明神
一、赤沼大明神
一、正一位新山大明神
一、正一位稻荷大明神
一、八幡大神
一、正一位稻荷大明神
一、山神宮
一、松舘大明神
 
 右社並に私先代のことはよく分かりませんが、先祖より伝わることを申し上げます。
 その昔、当村の郷士舘主松舘瀬左衛門の三男櫻丸と云う者がおりました。櫻丸は、幼
少より神仏の信心が深く、出家を志して遂に家を出て、羽州羽黒山に籠りました。
 羽黒山の雲林院の弟子にさせていただき、名を櫻眼坊盛教と改めました。治安元年
(1021)春より御本坊に誠心して仕えました。字法に励み、昼夜怠りなくお仕えするこ
と三ケ年、その間同年七月廿日入峯修行を仕え、同八月朔日権大僧都櫻眼院盛教法印よ
り補任状を授与され、別当祈願の号を請けられました。
 
 親瀬左衛門にご対面して、このことをお話になりますと、瀬左衛門は大いに悦ばれま
した。この年の九月廿五日夜、天滿大自在天神の格別の御靈夢を見られました。この霊
夢により、災難を免れました。よって郷士は自分の館の内に一社建立し、天滿大自在天
神を勧請致しました。
 この時正安三年九月廿五日、この舘及び村の鎮守天滿大自在天神様を末永く奉って、
櫻眼院に祈願別当を申付けられました。そしてこの社に田面千苅を寄附成され、また村
南の黒沢川の辺りに一ケ寺を建立に成られました。櫻眼院は年久しく住居致し、その地
は今「坊の前」と云います。その辺りに少々田地を開立し、これは櫻眼院の心附とされ
ています。
 
 その後櫻田なる舘は、南部家の領地に成られたと云います。
 郷士はこの舘を逃れて、毛馬内通大湯(鹿角市十和田大湯)の柳舘に引移りましたが
行末は分かりません。
 その後何年の頃でしょうか、下田河内と云う仁が松舘村の知行所に成られました。当
村並に尾去村に至る迄、宮々に社領を寄附されました。その時、住居の寺は田地になり
ましたので、松舘村傳吉屋輔(現宮司宅地)に替地になられて移住しました。
 ところが寛文三年二月十六日、村方大火事になって類焼し、宝物住物家財に至る迄残
らず焼失しました。
 その後延享三年寅十月十四日、證文が書替られ、社地境内坊屋敷など、村役人肝入老
名らが立会の上で改めて、前の通り諸役御免地と成りました。
 以上は先祖より言い伝えられてことであり、先祖代々の由緒のことを申し上げ奉りま
す。
 故一昨年神祇官より、別当社僧等は、神主社人等の称号に変更し、神道を以て奉仕せ
よとの公報の御沙汰につき、復飾致して、神に奉仕すべく盛岡縣御役所に御届申上げま
す。神に奉仕せよとのこの度の御沙汰につき、奉仕社頭の儀明細書を参上奉り、以上相
違無きに御座る。
 
     明治三年午二月
           鹿角郡花輪通松舘村
                     天滿宮祭主
                         櫻 田 守 人  印
 
        江刺縣
          花輪御役所

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