04 松舘天神宮縁記

        松舘天神宮縁記《松舘風土記による》  平成六年五月二十二日調べ
 
 抑々奥州盛岡鹿角郡(現、秋田県鹿角市)松舘天神宮の濫觴(起源のこと)を尋ぬる
に、甚だ久遠にして、年代明かならず、此の松舘と云ふ所、巡りは、岩石青苔滑かにし
て、鳥も翅を休むる能はず、又、湟(濠のこと)深くして浪穏か、千鳥舞遊ぶなり。
 
 舘主は、松舘精左衛門精長とて、智仁勇兼備の士なりき。
 
 舘の東は、醫王善神(薬師様のこと)の宮霊あり、今の薬師の森、之なり。
 其の麓は村里打続き、下は名にしあふ米代川とて清流、不浄の垢を流し、此の米代川
は、川上田山村(岩手県)の近辺、糠塚の住人蜻蛉長者の米研ぐ水、白く流れて白雲の
たなびく如し、依て米代川とは云ふなり。
 
 此の時代は、人皇第七十二代白河院(一説第二十六代継體天皇)の御時なり。
 猶、東方に大山有り、高嶺峨々として南方に聳え、月光沙界を照らす、古木枝を垂れ、
大日遍照の在世、有縁の浄土なり。洵に本朝無数の霊場たり。
 南方は夜明島、辰巳(東南方向)の方は谷内川、田畑有りて里の賑ひ、此所に一ツの
舘あり、主館者治左衛門と云ふ、此の舘に悉々く謂れ有りと雖も繁多故、此処に略す。
西方は三ノ台とて大山有り。
 扨て亦戌亥(西北方向)に当って銅山有りて黄金の華満々たり、北方は箒長根とて山
有り。
 
 誠に此松舘の要害、四方の景體、言語に絶し、今昔名挙の希舘なり。
 然るに嗚呼、天成る哉、命成る哉、舘主精長卿、無実の罪を蒙り、肝腑を痛め肺臓を
苦しむと雖も遁るべき方便無し、甚だ悩み居りたりき。
 
 正安二年(西暦一三〇〇年、一説治安二年(西暦一〇二二年))、頃は雨月(旧五月
)の末二十五日の夜半に夢となく、幻となく位官正しき官人、光明赫々として、黒牛に
乗らせ給ひ、御手には梅花を持たせ、妙香、床に薫し、精長卿の枕元に来臨し給ひて、
妙なる御声を発し給ひ、
 「汝、此度の災難、無実と雖も遁るべき様無し。然りと雖も、汝、日頃、予を敬する
が故に、今、此所に来たり。汝が罪を消滅すべし、安穏たらむ」
 と宣ひて、梅花にて三振り招かせ給ふ。
 亦、告げて曰く、
 「予、倩々思ふに此舘の要害、四方に景體宜しきに仍て、此の舘に安座す。而して、
近き里人を氏子として衆生の罪障を消し、諸々の災害を退け、家内の長久を守護し、別
だては、無実の罪を救ひ取らせむ」
 と宣ひて、神棚に入らせ給ふと、夢覚めて、奇意の思ひをなし、精長卿、則ち衣服を
更め、身心を清め、神酒、香花、供具を捧げて掌を合せ、百度二百拝禮拝し奉る、實に
も貴き事どもなり。
 
 然るに日を経ずにして、災難の雲も晴れて心も空も清々たり。
 精長卿、弥々心信怠り無く、之に仍て、舘の内に御堂、並に華表(鳥居のこと)を建
立し、御神穀として田面千刈田百五十坪寄進成らせられ、別当に渡されけるとなり。
 
 依て、村里へ觸れられけるにぞ、里人と老若男女寄り集り、既に遷宮(神座をお遷し
申すこと)の用意も調ひければ、盛歓法印を別当と定め、新殿に遷し奉り、是より末世
に至るまで『天満大自在綱乘天神宮』と崇め奉りき。
 
 精長卿始め里人、大に喜び、其夜は通夜して萬歳楽を唱へ、神霊を尊敬し奉りして程
なく夜も明ければ、神殿を拝し、精長卿、外に出見たりしに、不思議なる哉、右手には
四股の松、南方には三股の松、正面には眞直なる松三本、又、左縷の梅の木一本、一夜
の内に生じたり。
 人々、挙って霊験成ることを感じたり、正面の松をば御神鏡と名附く、今の鏡松是な
り。
 
 扨て、日を追って二本の松生じたり、此の大松は、北野(京都北野天満宮)より送り
賜はりし松なるが故に北野の送松と言ひ、又兄弟松とも言ふ。夫より霊験、日に新たか
にして、神徳、月に盛なり。
 
 扨て又、社堂の下に功徳水涌き出で、浪鮮かにして神徳の深きを顕し、今、参具打場
とてその形あり、洵に日域、都鄙(都と田舎のこと)の霊神なり、敬すべく、貴むべし。
 
 然るに歳月を送り、精長卿、何故か松舘をば別当に譲り、柳舘と言ふ舘に移りたりと
かや、其れより柳舘精乘と号したり。此の柳舘と言ふ所、何れの舘なるか分明ならず。
 其の頃、大湯(秋田県鹿角市)の領主に毛馬内勤眉と言ふ者あり、本舘、二の丸、三
の丸とて三舘あり、此の三の丸を柳舘と今に言ふ、若し此の舘なるか明らかならず。
 夫より別当盛歓法印、舘主となり、里人を撫育し、別て綱乘尊神を敬する事に他念な
く、丹精を凝らし祈りけり。
 
 其の後、別当、羽黒山(山形県)に登山し信心の徳に仍て、新に三帝山松舘寺別当の
号を賜り、永く寺務繁栄にして長久たり、今三台山松舘寺法光院、是なり。
 
 扨て又、左縷の梅の木、我が代りとて柳舘に送らせたりしが、故か松舘の梅、終に枯
れて、精乘卿の居舘に生ぜりとかや。
 
 亦、天神宮の乘らせ給ふ黒牛は、三ノ台に歳久く住みけるが、生あるものは滅するの
習ひ、終に命終り、之を葬りたる跡に石を起てたり、今、牛石(ベコイシ)と言ふは是
なり。
 
 綱乘尊神、霊験なお敬すべく、貴むべし、或人の曰く、今に柳舘の苗(苗字)は、何
れに住居するとも、皆、精左衛門精乘卿の末流なり、然りと雖も精乘卿、行末明らかな
らず、盛歓法印は廣大にして子孫繁栄、今に其の末流多しと。
 
  千秋萬歳目出度し 別当謹んで敬ひ曰す、
 
 千早振る 宮の松風 音すれど
     豊かに富まむ 村の繁昌
 松舘の 岩に咲きたる 八重櫻
     末々の世までも 匂ひぬるかな
 産神の 社の櫻 咲く如く
     名も香ぐはしく 栄ゆ櫻田
 
 右縁記は、昔より傳はる所なり。然るに所々虫喰にて分らざるにより、新たに写取れ
るものなり。
 序に、今の事迄書き加へ一巻と成し、子孫に相傳うべき為なり。
 
 寛文三年(西暦一六六三年)二月十六日の大火災に不残焼失、只、此の書も魔利支尊
天掛物壱本残れるところ。
 
           寛保年代(西暦一七四一〜一七四四年) 当家 寳光院の書

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