「松館今昔:菅原神社のこと」

神社の沿革

「松舘菅原神社沿革」参照
 上記の沿革によると、松舘精左衛門精長が天神宮(菅原神社のこと。天満宮とも) を勧請して建立したのは、治安二年(1022)とも、正安三年(1301)とも云われる。
 
 しかし、前掲「松舘天神宮縁記」などのことも勘案して推察すると、 ここ松館の菅原神社が建立されたのは、「正安の頃」説が妥当なのかもしれない。
 
と云うことは、
@松館の集落が形成されたのは、ずっと以前、つまり治安の頃かもしれないし、 「神社」を創建したのも、これまたずっと以前かもしれない。
Aしかし、ご祭神を勧請したのは、治安より後世の方が妥当性あろう。 何故なら、ご祭神が薨去(死去)されたのは、延喜三年(903)二月二十五日、 その後右大臣に復し正二位を贈られたのが延喜22年(922)、正一位左大臣、 そして太政大臣を追贈されたのが、正暦四年(993)である。
 
 正暦四年から治安三年までは、30年足らずである。この短い期間に、京都から この辺地「鹿角辺り」まで、ご祭神のご威徳が浸透してきたとは考え にくいからである。

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