03 松舘菅原神社沿革

                                H13.03.15作成
                                H15.10.26補筆
  
西暦 年 号  備         考          [注:( )は出典]
 
       第二十六代継体天皇の頃、既に松舘の地が成っていたとされる(一説、
       天神宮縁記写)
1021 治安元年〜三年の趣、八月朔日櫻眼坊盛教(松舘精左衛門精長の三男)、羽州羽
       黒山権大僧都櫻眼院盛教法印より補任状を得、別当祈願の号を請けられ
       る(奉仕社頭之儀明細書上帳)
1022 治安二年 五月二五日松舘精左衛門精長に託宣あり(一説、天神宮縁記写)
        天神宮創建(鹿角市史による)
1023 治安三年 九月二十五日館主松舘瀬左衛門天神宮建立(奉仕社頭之儀明細書上帳)
        盛歓法印在任(天神宮縁記写)
      ※1祭礼の儀は年々三月二十五日御湯立修行仕(奉仕社頭之儀明細書上帳)
1072〜1086  第七十二代白河天皇の頃、既に松舘の地が成っていたとされる(天神
        宮縁記写)
 
1300 正安二年 五月二五日松舘精左衛門精長に託宣あり(天神宮縁記写)
1301 正安三年 三月二十五日松舘精左衛門無実の罪を受け、これを信心してのがれ遷
        宮(天神宮縁記写)
        四ツ股三ツ股鏡松の三本の松一夜に生える(天神宮縁記写)
   正安三年 松舘館主精左衛門精長天神宮建立、田面千刈田百五十坪寄進(天神宮
        縁記写)
   正安三年 郷士松舘精左衛門、田百五十刈寄進(明細帳)
   正安三年 櫻眼院在任(天神宮縁記写)

        即ち、此の年「天満大自在綱乗天神宮」を勧請し、里人とともに「萬
        歳楽」を唱えて、その神霊に謝し、崇め奉った。このときが神楽舞奉
        納の起源とされる(天神宮縁記写)
 
1598 慶長三年 二月十五日権大僧都法道院宥積法印没(先祖調)
1624〜44   寛永年間天神講創始(松舘村講宿の旨趣)
1649 慶安二年 現存の本殿建立(本殿御扉に書いてある、神社明細帳)
1650 慶安三年 「慶安三年九月二十五日奉寄進御身体願主寳光院 舞額慈顯院宥山法
        印」と書いた杉一枚板の菅公御肖像あり(神社明細帳)
 
1663 寛文三年 二月十六日又吉の家一戸を残し松舘全焼(法印宅類焼、天神宮縁記写
        ・松舘村講宿の旨趣・奉仕社頭之儀明細書上帳)
   寛文三年 領主下田河内氏本殿再建、社領壱石九斗八升二合寄進、後八升参升七
        合追加寄進(明細帳)
      ※2祭礼の儀は年々三月二十五日御湯立修行仕(奉仕社頭之儀明細書上帳)
   寛文三年 九月二十四日下田覚蔵並に村氏子中再建(奉仕社頭之儀明細書上帳)
      寛文三年 九月 菅公御肖像(御鑄物、神社明細帳)
1664 寛文四年 肝入四郎兵衛宅建つ(現在似鳥政五郎宅)
        産土講に銭百文宛持参社殿普請料として積立つ(天神様へ)
 
1703 元禄十五年 七月二十六日法光院、小木文事を受ける(羽黒山修業)
 
1739 元文四年 十二月往古焼失の社領御證文書替られる(松舘村講宿の旨趣)
1740 元文五年 六月二十三日智徳坊、小木文事、鰐口ノ大事、九字大事、護身法を授
        与される(羽黒山修業)
1740 元文五年 翌寛保元年まで疱瘡地疫流行(松舘村講宿の旨趣)
        当時の御役人川村安右衛門館澤儀右衛門(松舘村講宿の旨趣)
1741 寛保元年 四月二十五日より現行の天神講が始まる(松舘村講宿の旨趣)
1742 寛保二年 寶光院在任(松舘村講宿の旨趣)
1742 寛保二年 四月「松舘村講宿の旨趣」成る
   寛保年間(1741〜44) 「天神宮縁記」成る
1745 延享二年 七月八日法泉坊本光、九字ノ大事を授与される(羽黒山修業)
1745 延享二年 八月十日権大僧都法光院守山法印没(先祖調)
1746 延享三年 十月十四日下田覚蔵より社領高壱石九斗八升弐合書替与えらる(奉仕
        社頭之儀明細書上帳)
1749 寛延二年 九月十八日権大僧都正学院宥公法印没(先祖調)
 
1761 宝暦十一年 七月宝光院、小木文事を授与される(羽黒山修業)
1776 安永五年 七月法光院、小木文事を授与される(羽黒山修業)
1780 安永九年 舞人額奉納(神社明細帳)
 
1785 天明五年 四月凶作のため社木を以て窮民救助の資にせんとしたる時多年社木と
        して育て来れるものを伐るは恐れ多しと氏子一統で二十本三十貫で買
        取り永代寄進す
1790 寛政二年 四月二十八日権大僧都法光院治歓法印没(先祖調)
1800 寛政十二年 九月二十五日内田芳寛天満宮の額を奉納(現存本殿、神社明細帳)
1815 文化十二年 九月菅公御肖像(木刻物)福本藤五謹刻(神社明細帳)
1818 文政元年 松竹梅額奉納(神社明細表)
1819 文政二年 十一月二十九日権大僧都法光院寛道法印没(先祖調)
1835 天保六年 無事是貴人額奉納(神社明細帳)
1836 天保七年 領主下田氏、社領弐石弐斗壱升弐合に書替えられる(明細帳)
1842 天保十三年 十月十四日権大僧都法光院宥仙法印没(先祖調)
1862 文久二年 十二月朔日下田河内より社領高八斗三升七合加贈寄進(奉仕社頭之儀
        明細書上帳)

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