下タ沢会によせて(覚書)

明治以降鹿角市誕生までの歩み

 こうして秋田県に編入された鹿角は以来、数度の合併をくり返し昭和47年鹿角市 誕生。鹿角は、鹿角市と鹿角郡小坂町に2分されることになった。もち論それは単純 な道程ではなく、幾多の利害得失紆余曲折を経て合併にこぎつけているわけですが、 今はその内部事情は別として、合併の結果だけを書くことにする。
 
 秋田県は明治4年の時点では、九大区、百十六小区であったという。翌5年3月鹿角 郡、由利郡の編入により、大小区制を改正し、大区は「地形によって区別をなす」 として二六区、小区は「戸数千軒内外を以て一小区となす」として、104小区とした という。これによって鹿角は第七大区となり、四ツの小区に分けられた(第七大区 には大館、比内が含まれていた)。
 
○第一小区:毛馬内・中野・蟹沢・神田・松山・大欠・土深井・石野・瀬田石・大地・高清水 ・芦名沢・長者窪・万谷・荒川・鳥越・鴇(ときと)・牛馬長根・赤坂・長沢・小坂・濁川・ 野口(23カ村)。
 
○第二小区:大湯・腰廻・関上・箒畑・根市・宮野平・倉沢・風張・一本木・草木・寺坂・浜田 ・古川・沢尻・室田・冠田・小枝指・小平・新斗米・高市・上台・柴内・乳牛・鶴田(24カ村)
 
○第三小区:花輪・久保田・高屋・鏡田・狐平・花軒田・甘蕗・大里・小豆沢・湯瀬(10カ 村)
 
○第四小区:谷内・長嶺・川部・三ケ田・夏井・長牛・白欠・長内・石鳥谷・松館・尾去・銅山 ・三ツ矢沢(13カ村)
  合計70カ村

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