いわゆる官軍といわれた方は、国の補助などももらって立派な神社を建てたろう
が、賊軍といわれた岩手(南部。鹿角も含めて)の方はどうだったろうか。自前の
招魂社のようなものはあったにしても、国のお声がかりの神社はなかったのではな
いか、西南戦争から日清、日露と進んでゆくうちには出来たかもしれないが。同じ
戊辰戦争で死んだといっても、鹿角の人は明治4年に秋田県になったとはいえ、当然
のことと思うが、県の護国神社の仲間には入れてもらえなかったと思うし、岩手県
に護国神社ができたとしても、岩手県の人達も複雑な思いであったろうと思う。 |