慰霊碑の方は、当時の県知事さんということでお願いしたと思うから、それはそ
れでいいとして、私も何度かこの碑をみていたが、ある時、「オヤッ」と思った。
碑の字に脚しが2本ある、と。 この慰霊碑の碑は、(碑の字の右側の)卑の字の下が廾となっている。隷書とて 篆書とかいろいろな字体もあるようだが、私達が持っているような普通の字典では わからない。そういう書き方もあるかと、ハンコやさんでも聞いてみようと思って いたが……。 ところで、先日長年寺で葬式があって行ったが、少し時間があったので、戊辰戦 争の戦死者の墓を見に行ったら、何々の墓というのと、何々の碑というのが、一所 にならんでいた。墓と碑とどう違うかと思ったが、それはまた後日の問題として、 その「碑」(碑の字の右側)の卑の字の下が廾となっていた。まさか小畑知事さん が字を間違えるはずはないとは思っていたが、昔からこういう書き方があったんだ と、中途半端な納得となった。 私はシベリアに3年いたことは前にも書いたが、その3年間毎日毎日寝ても覚めて も、繰り返して言っていたことは、「腹へった、エ(家)はエキテェ」の一言だっ た。今次大戦で戦死した多くの人の中には、一片の遺骨もかえらず、戦野の露と消 えた人も、また海の底に沈んだ人も多くいたことと思う。そうした人達は幽霊にな っても、飛んで家に帰りたかったにちがいない。私達はその人達を幽霊にしてはな らない。亡魂にしてはならない。がとにかく、幽霊だと足がない、ふらふらと迷う かもしれない、といって1本足だとカカシになる、ここはしっかり両脚を踏んばって、 私達を護ってもらいたい、あなた達はさまよえる亡霊ではない、国を護った英霊 なんだ、と小畑知事さんは、みんな一所にふる里の地に安らかに眠るようにと、鎮 魂の祈りをこめて、(卑の字に)足を二本つけてくれたんだと思う。ということで、 残りの半分を納得ということにする。 |