目くされで思い出したが、「昔は目ぼしを掘る」、ということがあった。私が小
学校に入るか入らないかの小さい頃だったと思うが、冬になると、私達の家に北秋
田の方から、鉱山に稼ぎに来ている人達が泊った。その中に私の家に泊っていたか、
ほかの家に泊っていたか、目ぼしを掘るという人がいた。目の悪い人が(どの程度
か、どんな具合かわからないが)、その人に頼んで目ぼしと称するものを掘っても
らっていた。目が悪いと背中の肩の付け根あたりに、小さいゴマ粒くらいの赤いア
ザのようなのが、ボツッと出る(いわゆる目星しといった)。それを木綿針のよう
なもので、パチンパチンとはじくように掘ると、白い木綿糸のような筋のようなの
が取れる。それは1〜2ミリか3〜4ミリかわからなくなったが、何度かくり返してい
たと思う。それでどの程度よくなったかわからないが、コタツにあたって見ていた
記憶がある。もちろん木綿針なのか、木綿糸のような筋なのかも定かでないし、目
が悪いといっても目くされなのか、いわゆる疲れ目といった程度のものかもわから
ないが、今ではそんなことをする人もいないだろうし、いたとしても、すぐ法律違
反でつかまるだろうが。 それとは別だが、私達が小学校に歩いていた頃(昭和の初め頃)は、アオッパナ (ネギッパナともいった)を鼻の下から二本だらっとたらしているのがよくいたも のだ。これも今は見ることもなくなったが、何にか栄養の関係があったろうか、そ れとも鼻の病気に関係があったろうか。今でもよく「はなったらし」とか、「はな たれ小僧」とかいうが、そういう言葉が生れる程昔は「はなたらし」が多かったの かもしれない。 さて南部の火付けも、津軽の目くされも、それでいいとして、もう一つ秋田の ホエドだ。やはり子供の頃、「秋田ホエド(こじき)コメコボス(コボス=溢れ流 す。まかす。撒かす。)」といっているのを聞いたものだ。それはつまらない愚痴 をだらだらブツブツといつまでもいっている、ということだったと思う。実際に秋 田の方から来たこじきがブツブツいっているのは聞いたことはないが。考えてみた ら、それは南部の火付けと対をなす言葉かもしれない。火をつけた方はすぐ忘れて しまうが、付けられた方はいつまでも忘れない。だから南部の人達をみれば、い つまでも火をつけられた恨みをブツブツといっている、もううんざりだということ で、お互いの間では、秋田ホエドコメコボス、といったのかもしれない。 理屈はどうあれ、戊辰戦争のとき、大館、北秋田の人達は南部軍によって家財道 具はもちろん、先祖伝来の宝物もみんな焼かれてしまった。南部の火付けといって 恨んだのももっともだと思う。 |