下タ沢会によせて(覚書)

一荷と三王

 さてここでわからなかったのが、酒の弐荷と鯡の三王。先づ酒一荷とはどれくら いの量か、一荷二荷とという数え方があったのか。花輪の酒屋さんに聞いてみたが、 若い世代になっているので、わからなかった。そこで能代に喜久水という古い酒 屋さんがあって、酒蔵などを博物館のようにして見せているのを思い出して(5〜6 年前に見学に行ったことがあった)、電話で聞いてみた。そういう言い方はわから ないと、ただ能代の方では10年くらい前までは、ワンカップ1杯やるか、とかいう時 に、ワンカップ一カやるか、といったりしていた、と。壱荷というのは、両天秤で はなく、肩にひとかつぎ、ということではないかと、だから一荷とは一樽というこ とではないかと。但し樽にもいろいろある、私達の思いつくところでは、1升、2升、 5升、1斗、2斗、4斗。私達は子供の頃は醤油も樽に入っていた。醤油で思い出した が、私達が子供の頃は納豆の味付けは塩だった。納豆は塩で食うもんだと思ってい た(わが家だけかな)。長塚節(明治時代の農民文学者)の小説「土」の中に、農 村のどこかの家で納豆に醤油をかけて食ったということが評判になったとか、羨望 の目でみられたとか、何にか農村の生活を語る本かで見た記憶があるが、「土」と いう小説そのものは読んだこともないし、ただ納豆は塩で食うものという考えが、 頭にこびりついていたので、そこだけが記憶に残っていたのかもしれない。ところ で納豆を普通に醤油で食うようになったのはいつ頃だったろうか。
 
 またいつものくせで、酒が醤油になってしまったが、そこで大人がドッコイショ とひとかつぎ、となれば、1斗ぐらいがいいところだと思った。田郡、元山と小組が 12〜3組づつある。仮りに10組出陣したとして、1組10人としても100人、そこで2斗 もあれば、1人2合くらいは当る。ご苦労さんと、腰を据えての宴会ではなく、茶碗 か湯のみでの一杯だったと思うから、それでいいか、と思った。
 次は鯡(ニシン)の三王、これがまたわからない。そもそも鰊と鯡とどう違うか と思った。そこで生のは鰊で、魚に非らずだから干した身欠ニシンは鯡の字を使う のか、と思ったがそんな区別はないようだ。それでニシンはいいとして、三王がわから ない。王とは何んだ、初め箱かと思った。ニシン3箱となれば、季節的にいってヌカ 漬か、これでは立ち杯の肴にはうまくない、ここはやっぱり身欠ニシンだナ、と思っ た。そのうちに別のところで鯡何束とか酒何斗とか出てきた。これで解決、王は束 の宛字?(王偏+束という字もあるようです)、また鯡の煮付けというのがあっ た。酒の肴の煮付けとなれば、やっぱり生ではうまくない(味のことではない)、 身欠鯡だと思った。
 
 ともあれ、弐荷だ三王だと迷うわけだが、こんなことは専門家には、なんにも知 らねェナ、と嗤われるわけだが、そこは小学校頭の悲しからずやで、あっちにこっ ちにこじつけして、迷っている。ちなみに阿部さんは「出陣」などのときに、「陳」 の字を使っているが、私達が普通使っている「陣」の字は「陳」の字の俗字だとも いう。
 何分にも今の世の中、「タマゴ」から「玉子」で、「しょう油」が「正油」の時 代だから、昔、三束が三王で、陣が陳でもおどろくことはないか。

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