下タ沢会によせて(覚書)

星はすばる、谷あいもすばる

○平場は偽引敗走谷際悪地ニおひき寄之事
○敵勢強く候ハヽ牛数十疋猛らせ追打駈散らし、混乱之場江鎗等之得物を以突入候 も一奇策也
  但時宜ニ随ひ可申事
 
 800年もたってから木曽義仲の戦法が出てくるとは思わなかった(寿永2年(1183) 倶利伽羅峠で牛の角にたい松を結んで火をつけて追い落とし、平維盛の軍を破っ た。)。源義仲もあの世でクシャミをしているかもしれない。
 それにしても、牛を集めることは割合に簡単でも(銅を運ぶにも牛を使っていた ろうし、近郷近在でも牛を飼っていた人も多かったと思うので)、4〜50頭も集めた ら、モウモウとうるさくて、たちまちバレてしまうんじゃないだろうか。駈は駆の 俗字。
 
○籏本より使役之者を以臨時之触差図在之候事
○夜ニ入候ハヽ騎馬兆(火偏+兆)灯壱ツツヽ流し籏江結付候事
○夜ニ入候ハヽ合言葉を以敵味方吟味之事、尤其節ニ臨ミ申渡有之事
○御合図法令ニ背候者は被所(ママ)厳科候事
 
 さて(ママ)と書いたところ、ご存知のように歴史の本などで、よく字がわから ないとか、意味がわからない、といったところに、ママとかなをふっているが、マ マとはどんな意味か知らないが、そういう約束になっているようだ。ということで、 広辞苑をみたら、「書物などの校訂、校正で「原文のまま」「もとのまま」の意を 示す。多く「ママ」と書く。」という次第。
 それで法令に違反した者はどうなるか、「所」のままでは意味が通じない。そこ で「厳科(きびしい罰)」から考えてみた。要するに悪いことをすると処罰される。 そこで「所」を「処」にかえてみた。すると被処厳科となる。と何んとなく分った 気分になった。
 これは阿部恭助さんの「さらさら文法」で処と書くところを、所と書いてしまっ た。校正のいわゆる古文書解読した人が、おかしいと思ったろうが、勝手に直すわ けにも行かないので、「所」と書いて、そのままとした。ということで次に行く。
 
○誹謗を構ひ麁言を吐キ自分限取計ひ、或ハ何か意恨を含ミ争ひケ間敷儀有之組立 をはずし等は勇者之道ニあらず、惣て喧嘩口論いたし我侭之儀有之候は屹度調法申 付候事

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