下タ沢会によせて(覚書)

打首獄門

 話しは何んとなく時代劇の世界に入ったみたいだが、私はテレビなどのいわゆる ドラマ(区分はよくわからないが、人殺しにせよ物語りにせよ)あんまり見ないが、 自だげきは時々見る。あれは大てい正しい方(善)は勝つことになっているから、 単純明快で、ボケずには丁度いい。もともと講談本(立川文庫など)に夢中になっ て、勉強すると称して兎小屋の二階でローソクをつけて(電灯は引張ってなかっ た)、小学校の高学年から高等科にかけてよく読んだ(それで急激に近眼になった ような気がする)。真佐博さん家であったと思うが、「教育講談全集」とかいう全 12巻だったような気がするが、厚い(6〜7センチくらい)本があって、それも借り て読んだものだ。その頃の本は、全部振りがな付だったので、子供でも読めた。そ れで時代劇には親近感があり、わかりいいのかもしれない。それはそれとして、先 の奉行の話しではないが、打首獄門などといわれても、言葉はわかるが、さてどん な風にしてやったか、となるとよくわからない。我が大先輩の関良輔も相馬大作と 一所に首を落されているので、彼等に敬意?を表してでもないが、江戸時代の刑法 に触れた本の受売りをしてみる。
 
 江戸時代の死刑制度もいろいろ入り乱れて、はじめの頃は統一がなかったが、そ の後次の8種類に整理されたという。
1、死罪……。
2、下手人……。
3、斬罪……。
4、切腹……。
5、獄門。
6、磔(はりつけ)。
7、火罪。火あぶり。
8、鋸挽き。
 
 こうした公刑罰の外に「敵打ち」「切捨て御免」「上意討ち」など、また姦通し た妻と姦夫に対する夫の制裁権、重ねて四つに斬り殺してもいい、という権利も法 的に認められていたという。
 だが実際には、この法定通りの死刑が守られていたわけではなく、各藩とも前時 代からの伝統をつぎ、それぞれにかなりひどい惨刑を行っていた。
 また幕府も、謀叛人や、みずからの体制に好もしくない囚人を処刑するときは、 この八種類に決してこだわらなかったようである。
 ことに切支丹に対する処刑は、その最たるもので、……といっている。

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