下タ沢会によせて(覚書)

ふる里へ帰ろう

 ”都を霞と共に立ちしかど”ではないが、生れ故郷の下タ沢を出発して、あっち へ寄り、こっちへ寄りで、どこをどう歩いたかもわからなくなったが、下タ沢の稲 荷さんもともあれ蟹沢に落ちついたところで、また下タ沢にもどって行くことにする。
 私達が子供の頃は下タ沢にあった家は、12〜3軒であったが、その外に畑になって いる所などは、皆屋敷跡であったかもしれない。トヨ子さんの後ろも二段ぐらいの 畑になっていて、その山ぎわの道をまわって、トフ小屋の方に曲るあたりに泉水が あって(赤腹などを見かけることもあった)、大きな屋敷跡であったような気もす る。この屋敷には誰が住んでいたろうか、沢出家の住んでいた沢を善衛門沢といっ たというが、場所は違うようだが、何にか関連があるのだろうか。

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