下タ沢会によせて(覚書)

火の海の第一発見者

 さて、泥の海のことは、私達自身が経験した惨事なので、皆さんもよく知ってい ることですが、火の海のことは私も三ツくらいの時のことなので、何んの記憶もな い。話しはこうだ(沢出正志さんから直接聞いた話し)。
 それは、城山にいた工藤政志さんが急に亡くなった(昭和63年4月、俗にいう心 臓マヒ?)。工藤さんは尾去沢の文化財保存会の会長さん、私達会員も初七日の法 要によばれた。法要の後の席で沢出さん、市街地の柳舘計一さんとならんで座った。 何んの話しからであったか忘れたが、多分時節がらヒロコを入れたニシンのかやき がうまかった。その頃のニシンは大きくて油っこのって、というところからヒロコ 掘りの話し、元山の火事と広がっていってあったかもしれない。沢出さんの話し。

 「誰とであったか思い出せないが、友達と二人で下タ沢の方にヒロコ掘りに行っ た。帰り下タ沢の沈殿小屋あたりまできたら、誰か男の人が松?の枝かで火をたた いて消していた。火はおおかた消えていた。ところが急にゴーッと強い風が吹いて きた。火はたちまちメラメラッと燃え広がっていった。これは大変だ、と家に駆け つけた。丁度そこに父親が帰ってきた。村会議員か何かをしていたので、会議があ ってカゲに行くので早く帰ってきたところだった。お前は早く半鐘をたたけといわ れた。半鐘は佐藤久造さんの家と佐藤秀弥さんの家の間あたりの小高い所にあった。 夢中になって昇ってジャンジャンたたいた。家に入って大事なものを整理していた であろう父親も出て来て、家の上の方にあった稲荷さんで状況を見ていたが、自分 の家の屋根にも火の粉が降りかかり、煙が出てきたので、これはいかんと家にもど って、大事な書き付けなど背負わして、お前は弟妹を連れてカゲのオバさんの所へ 行けといわれた。」

 一杯飲みながらの席なので、話しはここで終ってしまったが、もっとくわしく火 事のこと、元山のことなど聞いておけばよかったが、そのうちにと思っているうち に、聞けないでしまった。
 たしか高等1年のときだったといっていた。

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