下タ沢会によせて(覚書)

ブリキの時計 − テンポとは −

 下タ沢飯場の佐々木音吉さんで思い出したが、50銭を寄付したその音吉さんかど うかわからないが、大館のトーさん(与七郎)が元気でいた頃、いっぱい飲みなが ら色々な話し(忘れたが)をしていたとき、こんな歌を歌った。  「下タ沢の音基地……どうとかこうとかで……ブリキのトケ(時計)下げた、何 時と聞かれてヘント(返答)のトウハク(詰まる、答白?(当惑とも))テンポ (天保?)の……何時頃。」といったか忘れた、が、後で思い出してチャンと聞い ておけばよかったと思ったが、もう聞けなくなってしまった。
 この音吉さんという人は、頓智のきく面白い人だったかもしれない。学校に寄付 した音吉さんと同じ人だとすれば、子供好きのやさしい人だったろうと思う。飯場 ぐらしの坑夫といえば、酒ばかり飲んでいる荒くれ男と思われがちだが。

 この飯場で思い出したが、明治の頃か大正の頃かわからないが(聞いたことがあ ったが忘れてしまった。名前も生国も)、私達の家に親しく出入りしていた人がい たという。その人は国へ帰っても親兄弟も誰もないので、死んだら私達の墓に埋め てくれといっていたという。それでその人が死んだときに墓も建ててやった。それ がこの墓だと聞いたことがあったが、下タ沢の墓地を改葬するとき、その墓石も一 所に埋めてきた。いわゆるどこかの鉱山から流れてきた、渡り坑夫であったかもし れないが、異郷で死ぬことは覚悟はしていても、無縁仏にはなりたくないという思 いであったろうと思う。このことは秋田のトーさん(与一郎)が知っていると思う (テンポは天保でないので、後で書く)。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]