下タ沢会によせて(覚書)

ひとはずな

 馬の末路は馬肉になったようだが、牛はどうなったろうか。それはいゝとして、 地許における荷物運搬の主役は、馬だったようだ。鉱山作業絵図の最後の方(明治 に入ってからのことだと思うが)に、春になると道路に馬糞が15CMも積っていた、 という記事があった。その馬糞をどうしたろうと思った。かき集めて肥料にしたろ うか、それとも春風に吹きとばされるまゝにしていたろうか。
 牛は力が強くて忍耐力があるので、港まで銅を運ばされたろうが、それだけでな く近郷近在から出る鉱山で使う資材や物資も運ばされた、という。
 鉱山で牛を雇うときは、「どこそこの何兵衛牛何人前」とかいって雇ったようだ。 鹿角市史第二巻上に「牛馬の雇入れも周辺農村に及び」という記事の中に「長内 (おさない)忠兵衛二人前十三疋、小平村(こびらむら)勇治一人前五疋など41疋 を雇ったという記事が見える」として「一人前はいわゆる「一(ひと)はずな」、 牛方一人で追う牛の群のこと、普通「一はずな」七疋といわれるが、この記事には 一人前四疋、五疋、六疋、八疋と、その数は牛方によってまちまちである。」とい う。

 「一はずな」、忘れていた言葉を思い出した。今は牛も馬もそれこそ日常生活で は見ることもなくなったので(牧場などは別として)、今の子供達はそんな言葉は 知らないだろうと思った。
 そもそも「はずな」とはなんだ、と思って辞典をみたが、「はずな」も「ひとは ずな」もなかった。夜中に眼をさまして、ふと思った。鼻っぱしらにつける「つな」 だから、「はずな」でなく、「はづな」かもしれないと、朝起きて早速みなおした ら、あった。「はづな」だった。それは「端綱。馬の口につけて引く綱」とあった。 そうかそうかと思って、我が鹿角の方はどうなっているかと思って、花輪弁の本を みたら、「はじな。はなじな・はなづな」として「鼻綱」の字を当ていた。鼻につけ る綱だからそれでいゝか、と思ったが、待てよと思いなおした。牛の場合は鼻に鉄 の輪をつけて、それに綱につけて引っぱったと思うからそれでいゝが、馬は鼻に環 はつけなかった。馬の場合は「ハミかませる」といったよだと思って、ハミなんて 鹿角言葉だろうと思って、念のために辞典をみたら、チャンとあった。「はみ(馬 銜):@轡(くつわ)の馬の口にくわえさせるところ、A悍馬(かんば)を制する ため、口に縄をかませて、頭頂に縛っておくこと」。さて我が鹿角弁は、と思って みたら、「はみ:家畜の轡の一部……口の中に入れる部分や綱」とあった(もちろ ん「はみ」は馬などの餌などもいう)。方言だ、づうづう弁だと馬鹿にするな、と いゝたいところだ。ところであの顔全体にかける綱は、なんといったろうか、たし か「おもづな」といったような気がして辞典をみたが、広辞苑にはなかったが、花 輪弁にはあった、「馬の面綱」と。
 なんだか馬の話しが主になったみたいだが、牛の鼻環はどうしてつけるのか、と 思った。それは左右の鼻穴の間の壁に、そうそう今のピアスの要領、ということは、 牛の方がよっぽど流行の先端を行く、オシャレだったわけだが、といっても綱をつ けられて引っぱられたら、オシャレどころか痛かったろうナ、というのは私の勝手 な想像で、私は鼻環の実物も、つけるところも見たことがないので、本当のところ は知らない。

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