下タ沢会によせて(覚書)

からめ節か牛追い唄か

 「牛一頭に銅二箇を付け、山許から終着地まで通して運搬するのを、通牛(とお しうし)と称した。特に急を要する場合は、宿継によることもあった。これらの附 牛は、藩庁が毎年領内福岡通り、宮古通り、上田通りの村々へ割付けたもので、そ のほか山許で雇入れる地雇というのがあり、これらは八戸領或いは近在から手当し た。」
 こうして我が尾去沢の銅は、牛の背にゆられて港まで送られて行くわけだが、牛 はゆっくり、ゆっくり歩くから、牛方もたいくつだろうから、「からめ節」でも唄 って、と思ったが、からめ節ではなんとなく牛の歩みと調子が合わないようだから、 こゝはやっぱり「南部牛追唄」でなければならないナ、と思った。が、昔の道路は 今のような舗装ではないし、しかも山道も多かったろうし、また一人で何頭も牛を 追って行かなければならないので(牛は追うもの、馬はひくもの、とかいう)、の んびりどころではなかったかもしれない。

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