こゝらで牛も疲れたろうから一休みすることとして、今「宿継」という言葉が出
てきたが、辞典によると、 ○宿継(しゅくつぎ) = 人馬を継ぎかえて、宿駅から宿駅へと荷物など送ること。 ○宿駅制 = 律令制で、公用の旅行や緊急の通信のため、五畿七道30里(約16KM) ごとに駅(駅家)、渡し場に水駅(すいえき)を置き、駅長、駅子に駅馬、駅船を 運営させた。という。 今の鉄道を考えればわかりやすいと思う。ちなみに駅という字には、次から次へ という意味があるというから、現在の駅伝競走は、荷物のかわりに「たすき」を次 から次へとつないで行くから、そのおこりは、このへんにあるのかもしれない。 ○宿駅 = 街道筋に旅客を宿泊させ、または荷物の運搬に要する人馬などを継ぎ立 てる設備のあるところ。鎌倉時代以降発達し、交通経済上の地方的中心となり、江 戸時代は宿場町として栄えた。 ○五畿七道 = 日本古来の地方行政区域、五畿とは帝都の近国たる山城・大和・河内・ 摂津・和泉の5国をいゝ、七道とは東海・東山・北陸・南海・山陽・山陰・西海の各道をさ す。」という。 その後いろいろ動きがあったようだが、平安中期には大体次のようになったとい う。私達は何々道というと単に道路と思いがちだが(弥次喜多の五十三次のよう に)、北海道というように考えればいゝのではないかと思う。つまり各道にはその 周辺の国々が含まれていた。ということで、おゝまかにいえば、 東海道というのは、弥次喜多のおかげでなんとなくわかるような気がするが、伊 賀・伊勢から尾張・甲斐から上総・下総・常陸など15ケ国、いわゆる関東地方。 我が東北地方は東山道に属し、近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽の8国。 南海道は四国方面6ケ国。 北陸道は北陸方面7ケ国。 山陽道は中国地方7ケ国。 山陰道は山陰地方8ケ国。 西海道は九州地方9ケ国2島(壱岐・対馬) と思えば、いく分かの入れ違いがあるにしても、おゝよそいゝのではないかと思う。 今、道州制(この頃あまり聞かないが)などといわれても、どんな区画に区分す るのかナーと思うが、すでに大昔にそういう制度があった(どのように機能してい たかわからないが)と思うと、なんとなく納得、といった気分になる。考えてみた ら、小学校の地理の時間に東北地方とか関東地方とかいって習ったが、何分にも地 理は地理、歴史は歴史で習ったから、頭の中でつながっていなかった。 |