下タ沢会によせて(覚書)

足に目がある話し

 坑内の明りに松根油を使った話しはしばらくおくとして、坑内の暗さは、いわゆ る外の闇夜とはくらべものにならない、自分の手を顔にくっつけるようにしても、 全然見えない。まさに漆黒の闇というやつだ。私達は明りに提灯、カンテラ、高等 科になる頃は懐中電灯も持った。懐中電灯といっても、今の棒状ではなく、自転車 につけるように出来ていて、ひらぺったい四角で、単一の乾電池か2本入っていた。
 坑内の私達が普通に歩くところは、いつも電灯がついていた。それが何にかの故 障で全部消えていることがあった。私達も長い間の馴れで明りを持っていないこと もあった。マッチでもあれば1本こすって、火のついている間に2〜3米歩く、という こともやった。何んにもないときはどうしたか、手さぐり足さぐりだった。手さぐ りをするときは、石切沢の坑口(今のマインランド)を出てすぐ近くにコンプレッ サー(空気圧気機:その圧縮した空気の力でさく岩機などを動かしたり、一部通気 に使ったりしていた。)室があり(マインランドの売店の建物)、あたりをゆるが すようにグァングァンと大きな音をたてて、機械がまわっていた。その空気を坑内 に送るたるの直径10インチくらいの太い鉄のパイプが、坑道の片側にはられていた。 それを手でさぐるようにさわりながら歩いた。私はもっぱら足さぐりで歩いた。石 切沢の坑口から入って新線を通って電車道に出て、万才の立坑のところから新通洞 に入って、下タ沢の坑口に出た。頭の中にはレールの状態がすっかり入っている。 坑道には右左に分かれるところがあって、レールもそこで右左に切換えることが出 来るようになっていた。そこをカワセといった。石切沢の坑口を入ってレールとレ ールの間を少し足をするようにして歩いて行く、とそのカワセにひっかゝる、その 右に分かれているか、左にわかれているかによって、どのあたりまで来たかを判断 して歩いた。朝出勤などするときは、大ぜいの人通るので問題なかったが、仕事が 終って帰るときは、1人のことが多かったので、よく足の目で歩いた。坑口を入って 坑口を出るまでは、普通20分くらいであったが、足の目で歩くときは少しよけい時 間がかゝった。しばらく留守をしてシベリアから帰って来たときは、新線から電車 道に出る所がすっかり様変りしていて、足の目で通り抜けることは出来なかった。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]