さて、勢沢大切坑の大揉込で坑内に入った下タ沢の女の人達以来、百五六十年続
いてきたと思われる女の人の坑内作業も、一応昭和8年頃終りとなったが、それはそ
れとして、坑内から鉱石を出すときはどうしたろうか。もちろんこれは女の人だけ
でなく、男の人も働いたと思うが、先に「エボ」とか「しっこ」で出したと書いた
が、一荷に七八合入れた、というが酒とか米ならわかるが、鉱石をどうして1合2合
とはかったろうか。そこでまた麓さんの本にもどってみると、
「鉱石の計量はノ(ハク)枡(はくます)と呼ばれる特別の度量で、横縦各1尺7寸 5分、深さ7寸5分の容量をノ(ハク)枡1升とした。米3斗5升4合の容量に匹敵し、重 量は大体30貫以上36〜7貫とされ、ノ(ハク)性の良いもの程重かったわけであっ た。」という。 先に「一荷に7〜8合入れた」とあるが、どれくらいの重量になるだろうか。今仮 りに一荷7合として考えてみると、7合=1升の7割、としてノ(ハク)枡1升は米3斗 5升4合×0.7=2斗4升8合、米1斗を15Kとしてみると、2斗4升8合は37.2Kとなる。こ れなら背負えるか、がこの計算はマユツバで鉱石は米ではないからそうはいかない。 ノ(ハク)枡1升は重さにすると30〜36,7貫という。平均して33貫として、その7割 は約23貫、これを背負えといったらどうなるか、1貫目を4Kとすると23貫で92K、米 60Kとして約1俵半、私達が子供の頃、木炭1俵は4貫目(8貫俵というのもあった)、 23貫だと5.7俵、背中に米俵をのせるか、炭俵をのせるかは別として、毎日23貫も背 負出していたら、何往復したかはわからないが、体が持つだろうか。この計算どこか 狂っているかもしれない。 その判定は皆さんにまかせるとして、今、自分の体力を考えてみると(数えの80) 宅急便の20Kを持つのがやっと、ビールの大ビン1箱20本を持つのに、ヨッチャ、ヨ ッチャ。若い頃といっても30Kも背負えばせいいっぱい。どう考えても7合の鉱石は 背負えない。いくら昔の人は力持だといっても、本当に毎日20貫もあるものを背負 って毎日行ったりきたりしていただろうか。 とこゝまで真面目に考えた。がこゝに大きな落し穴があった。といっても自分で 落ちたんだから誰もうらむわけにはいかないが。要するに私は「一荷」という言葉 にとらえられて、一荷=1回に背負える量、と思い込んでしまった。おそらく鉱石枡 は、坑外に備付けてあって、それに「えぼ」や「しっこ」で運んできた鉱石をあけ て、今日はいくら掘ったとか、いくら運んだとか、と作業量を計算していたのでで はないだろうか。 というわけで、何にかほかにないだろうかと思って、同じ麓さんの書いた「佐渡 金銀山史話、昭和31年刊」というのがあったことを思い出して開いてみたら、「旧 幕時代の鉱山技術」という章の「支柱法その他」という項の中に、「鉱石の運搬は 5貫目程度を叺に入れて背負って岡(※)へ出し坑内外を往復した」という記事があ った。5貫目程度なら俺でも何んとかなる。これにて一件落着となったが。 ※今、「岡」という字が出てきたが、これはその字のとおり、「オカ」と読むと 思う。私達は坑内を「シキ」といゝ、外のことを「オカ」といった。「シキに入る」 とか「オカに出る」といったぐあいに。 |