私は坑内で働いたことはないので、坑内現場のことはよく知らない。今、四本柱
の内へは女の人は入れないといわれてみても、さて、四本柱はどこにあったんだろ
うか、と思う。そういえば、新通洞の坑口であったか、切沢の坑口(今のマインラ
ンドの入口)であったか定かでないが、坑口の柱(坑道を支える支柱)に神様の名
前であったか、神社乃名前であったか、書いてあったような気がする。その柱が新
しかったような気がするから、支柱を取替えたときであったかもしれない。高等科
のときか、鉱山に働きに行きはじめた頃であったかもしれない。 それで尾去沢鉱山の保安規程(鉱山では保安といゝ、町の工場などでは安全とい う。安全週間とか交通安全というように)の付図に支柱の方法を書いたのがあった のを思い出して、コピーしてもらったが、坑道のいろんな条件による支柱の方法は 書いてあるが、四本柱のことは書いていなかった。 女の人を坑内に入れないということは、よく山などに女人禁制というところがあ るし、また最近でも大阪の女の知事さんが、土俵の上に上らせろ上せないで相撲協 会ともめていたことがあったが、女の人には悪いが、それだけ坑内に神聖視したと いうか、坑内作業は危険なので神様に守ってもらう、という考えがあったのかもし れない。 今、川口家文書に「已前は四本柱の内へは女は入れなかった」とあるというから、 それをみたら何にか四本は柱のこともあるかもしれないと思ったが、そもそも川口 家文書などというのは見たこともない、と思ったが、何にかあったような気もして 探してみたら、鹿角市教育委員会で出した「尾去沢鉱山関係文書 − 川口家文書か ら − (その一)」というのが出てきた(鹿角市史編さん資料)。昭和52年頃出し たものだが、漢字ばかりで頭が痛くなるのでパラパラッとめくって、そのまゝ押し こめておいたものだった。その中に次の一文をみつけた。 「一、四ツ留四本柱と申ハ月之四天をかたとり四本柱と申也 又柱拾弐本の内ハ神々をこめ鋪内安全と祝こめたり ……(略) 以上のように書いてあり、わかったようなわからないような気分だが、とにかく 四ツ留をつくったときは、それぞれ神さまを祀って御神酒、御供物を上げて神事を 行ったようである。四本柱とは上記の一、二、三、四の柱(?)のことをいったの かもしれない。 |