この勢沢大剪坑の奥の引立に、葬式の行列が書かれて(彫られて)いるという。
そこはダミッコ(葬式のこと)切羽といわれたという。先に坑夫の妻女が落石で圧
死して亡霊が出たというのは場所がわからないが、そうした落盤事故などはあった
と思うので、いつの頃かに大きな事故があって、その成仏を願って彫ったものかも
しれない。この事故については、山方部落の奈良一男さんが昭和40年代であったと
思うが、仙台の鉱山保安監督部で毎月発行している「保安東北」という鉱山の保安
に関する小冊子があって、それにこのダミッコ切羽の話しを書いていたが、それを
みるとよくわかるのだが、私も1冊持っていたはずだが、どこへやったか見つからな
いので、その話しはいつかまた、ということにする。
今、幽霊が出た話しで思い出したが、いつの時代でも鉱山(だけではないが)に は、ケガや事故はつきものだった。死亡事故が発生すると、その第一報は先ず鉱山 監督部に出さなければならなかった。すると監督官という人が駆けつけてきて、事 故の原因など徹底的に調べる(現場はもちろん関係者なども当然事情聴取される) と同時に鉱山としても事故報告書を監督部に出さなければならないので(決められ た様式によって)、これまたくわしく調べた。これには事故現場の図面は必ずつけ なければならなかった。図面をつくるとなれば、測量やさん(地質課測量係)の出 番で、2〜3人で現場に行っていろいろ測ってきて、図面をつくってゆく。ところが こゝがどうなっていたか一寸わからないところが出てくる、と、もう1回行ってはか ってこい、となればと一番若いのが行かされる。それが昼間ならまだいゝとして、 夜中(次の日まで待てないときもある)ともなると、シーンとして物音一つしない 真暗な坑内を1人で死亡現場まで行って、はからなければならない。イヤーほん当 に気持悪かった、という話し……。 尾去沢も閉山して20年以上にもなるので、記憶もあいまいになってしまったが、 ケガの程度を表わすにも一つの基準があった。 @不休傷(仕事を休まなくてもいゝもの)、A微傷(休業2日まで)、B軽傷(休業 3日以上13日まで)、C重傷(休業14日以上)、特に休業4週間以上および死亡事故 は、所定の様式により鉱山保安部に報告書を出さなければならなかった。 ケガとべん当は自分持ちなどといったのは昔の話しで、近年の鉱山は保安対策 (災害防止)にきびしかった。 |