下タ沢会によせて(覚書)

サンジアガリ − 稼働時間と交代制 −

 こうして働いていた人達は、何時から何時まで働いていたろうか、同書によれば、
 
 「ノ(ハク)掘りの働き方は昼夜を三分し、
 朝番、朝六ツ時より九ツ時中(午前6時より午後2時頃まで)
 昼番、昼八ツ時より五ツ時中(午後2時より午後10時頃まで)
 夜番、夜四ツ時より七ツ時中(午後10時より午前6時頃まで)」
ということで、「交替は四日目毎に行い、朝番の者は夜番に、昼番の者が朝番に、 夜番の者は昼番に転換した」という。また二方通して働くのを「打返し」といった という。
 こうした勤務形態は私達が働いていた頃も、時間に若干の違いがあっても、同じ ように行なわれ、二方通しをするときは「今日は通しだ」とか「打返しだ」などと いった。たゞ昼番、夜番とはあまりいわず、朝番、二の番、三の番といったが、三 の番の時は「今日は夜番だ」ともよくいった。
 生産現場の採鉱は二交替、選鉱、製錬は三交替、もちろん全部ではないが、その 外坑外各課でも例えば電気を止められない、機械を止められない、水を止められな いといった、中断することのできない職場は、三交替とか、12時間交替の二交替で あった。労働課の外勤(守衛)、いわゆる詰所といわれたところの人達も12時間交 替の二交替であった。
 
 私達が子供の頃、坑内に稼ぎに行っている人達が、仕事を終えて帰ってくるのを サンジアガリといった。今のように誰でも時計を持っている時代ではなかったので、 「サンジアガリが来た」というのは、一つの時間の目安でもあった。その人達は3時 に仕事が終って帰ってくるので、3時上りといったと思うが、子供はそんな勤務時間 のことなど知らないから(私だけかもしれない)、その時間頃になればゾロゾロと 続いて帰ってくるので、何野何兵衛という一人一人ではなく、ひとくゝりにして、 その人達のことを(人種ではないが)サンジアガリという人達だと思っていた。

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