下タ沢会によせて(覚書)

上山守古の見た尾去沢 − 両鹿角扈従(こしょう)日記から −

1、此御役所之所一円を尾去沢といふ人家三百軒程惣山内之人数二千九百七八十人 有之常ニ三千人ト云よし也

鹿沢より三丁程(約327M)
1、御昼 花輪より一リ 御銅山御役屋
   御立除場     七曲坂之内
 
 こゝで昼食の事や続いて「山法掟」のことなど(こういう罪を犯した者はこうい う罰に処す)詳しく書いているが省略。
 
1、御昼相済九ツ半(午後1時)頃御銅山役処御発駕御歩行ニ而直にに七曲リ坂江 御上リニ相成爰は五六十度ニ過たる甚タ聳たる山へ七折ニ造リたる道也一体此沢中 は草木なく皆赤土山也是は白(金偏+白)焼之烟之為也ト聞く白(金偏+白)ニは かならす録盤之気有之故ならん
御役屋より五丁(約545M)
1、御立場   七曲リ坂之内
此山登リ詰聊平場在之長峰道也此辺よリ御城下岩鷲山遥ニ見ゆる段々下リ石坂在之 大坂下れは爰は人家在リ是本山(もとやま)沢也左山根ニ鋪口見ゆる鶏鋪ト云其先 大本番御役所之前を御通リ
1、御立場   石畳と申所
此元山之内右ニ寺壱宇在之忘れたり此辺より秋田御堺山々見ゆる是より段々大坂下 る事甚し眼下ニ見る深沢ニ下る漸く田郡山ニ行詰て道傍に左ニ大成鋪口在之用水鋪 ト云其所ニて暫く御立場被遊其内ニ我等も奥瀬本宿様と十四五間程入て見しに初六 七間之内は何共思わざりしカ其先は冷なる山気身に徹して気味わるきよふ也十四五 間之内は上左右共材ニて囲ひしなれハ廊下を行ごとく也其先ニ至りてハ唯厳石を穿 てる迄ニて御供装束之儘ニては入難程也然に暗き奥之方より火ノ光リ見えたり段々 近寄見れハ金堀共七八人白(金偏+白)を背負壱本なる竹に火を銘々ともし出た り、其儘御床机前を通セし也是は誠に都合よく背負出之処入御覧たりかねて云付置 て鋪内ニ入れ置しからむカ
 
 坑内の涼しいことは私達には常識だが、南部の侍達にとっては初めての経験であ り、びっくりしたのだろう、また金掘共が白(金偏+白)を背負って出て来たとい うのは、上にも書いているように、さりげなく殿様に山の様子を見せるという演出 だったろうと思う。
 
1、是より少し下れハ田郡金場ニて爰ニも仮ニ設在之御床机据させられたり 1、田郡沢人家七十七軒斗金場長サ十五六間幅三間計リ之長屋ニて上之方に役人出 役処高く在之中土間ニて両側ニ一間ツツ仕切を附其内ニ山石弐ツ宛据て有之爰ニて 一仕切に二人ツツ入て堀出セし儘之白(金偏+白)を脇ニおき夫れ之上ニて大成る 金槌ニて砕ぐ自ら善悪(よしあし)を分け又は先ニ尾去沢之所ニ書し如くゆり流し も爰ニてする尾去沢ニ而は爰より違ひたるを精製する事也何れの沢も如此由此白 (金偏+白)つぶしも女共之業なり暁より取付夕七ツ(午後4時)ニ休むト云其一人 前之賃聊五六十銭也と聞けり壱人前之定ハ五合計此升目ハ珍敷物也白(金偏+白) 之壱舛ハ米ニて三斗五六舛之かさ也という(この舛の寸法は鉱山の話しのときにま た書きます)其者之働次第二人分も三人分も働て其賃を取候由当世天下ニ有ましき 下直なる日雇也是等をもって銅山を一世界とハいふならむ今日上様之御出トてそれ それ相応え晴れ着物皆婦人の働ハ丈短き踏込様之物を着けり皆装ひ四十人計も有へ く御免有て常之通働可申旨被仰出候処敷内改役差図して唄ひなから白(金偏+白) を打つに銚子ニ合セて槌音よく揃へりと面白き事也其唄を石からみふしトいふ数々 有之由也聞しまま一二を記セリ
 ♪西ハ台所東ハ床屋いつもとんとん音カする
 ♪赤沢山より元山よりも白(金偏+白)の出る山田ごうり山
 ♪親父大黒カカア恵比須顔一人娘は弁才天
 ♪直リ親父の金場を見れば白(金偏+白)て山築(つく)富士の山
 ♪金のべごに錦の手綱我も我もと引たかる
此節直リに相成候へは如此白(金偏+白)出来候由ニ而重サ五六貫目も有べしと見 ゆる大塊実ニ汚物のなき物と見ゆ

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]