私が下タ沢を出たときからはじまった話しが、思い出をめぐりながら、関係のな
いような枝道にそれながら、何にが何ということもなく、こゝまできてしまったが、
その下タ沢も人が住まなくなってから次第に荒れ、元山の沢には昭和42年頃より数
年がかりで、県の治山工事として施工された砂防ダムが数ケ所でき、引続き下タ沢
そのものにも、また丹波の沢や下モの蟹子沢にも数ケ所の砂防ダムができて、地形
も大分変ってしまった。更に「タカチ」の坂から悦子さん(内田さん)の家の方に
かけての山は、植林のため切り払われて一時坊主山のようになっていたが、その後
植えられた杉も大分大きくなって山相も一変した。今は10年くらいの若木だが50年、
100年とたつうちに切られ、また植えられと、そうしたことを繰返しながら時が流れ
て行くだろうと思う。
こんな沢ツボに、私達の先祖がいつ頃から住みつくようになったろうか。と考え てみても、そうした記録もないようだし、また田も畑も作られないような谷間だか ら、田畑を求めて下新田の方から人が入ってきたとも思えない。やはり鉱山の発展 と共に人が住むようになったと思うのが、妥当なところかもしれない。 |