下タ沢会によせて(覚書)

鉱山の電話・索道

 下タ沢に電話がなかった話しが米の値段の話しになってしまったが、尾去沢鉱山 には構所内電話という鉱山専用の電話があった。電話交換手は当時は女性のあこが れの職場の一つでもあったと思う。この電話交換の開始は明治26年(1893)という ことで、明治23年の東京横浜及び大阪神戸間に次ぎ全国三番で、仙台の明治33年よ り大分早いことになるという。この電話機8台と10線用交換機から初まった電話交換 も、その後次第に増設されていったが、昭和36年自動交換に切り替えられ、いろい ろなロマンスを生んだ交換台もなくなってしまった。

 ちなみに花輪駅の所に電力不足に備え火力発電所(出力1000KW)が昭和9年10月 (廃止はいつか?)また山許花輪間に物資輸送のため索道ができたのが同年6月 (32年12月末廃止)。

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