下タ沢会によせて(覚書)

下タ沢に電灯がいつついた

 市日のアメ玉が、あっちこっちに転がって、気がついたら、トマトになっていた。 そうした下タ沢の生活の中で忘れられないのは、電灯がついたことだろう。下タ沢 に初めて電灯がついたのは、昭和3〜4年の頃だろうか。昭和2年に鉱山で大争議があ って、その後でついた、と幸子の姉(ヒサ)から聞いたような気がする。私が小学 校へ入ったのは昭和4年だから、電灯がついて嬉しかったという記憶があってもよさ そうなものだが……。家にはランプはあったが、ランプのホヤみがきをさせられた 記憶も、ランプをつけていた記憶もない。暗くなると、子供はねろと、ねかされて いたのかもしれない。
 「田郡に電灯がついたのは、昭和2年5月といわれている」と「花輪・尾去沢の民 俗」の中で石川忠雄さん(故人)が思い出を語っているが、三ツ矢沢学校史の中で も、学校に電灯が入ったのは昭和2年5月である、といっているので、下タ沢はその 次の年であったかもしれない。

 尾去沢鉱山に自家用発電所ができたのは明治31年(1898)、現八幡平地区の永田 発電所、明治40年には碇発電所、大正9年(1920)には大湯発電所。その後昭和に入 って小又川発電所(第一、第二、第三、第四)が逐次できて行くわけですが、一般 家庭に電灯が入ったのは、尾去沢は鹿角では早い方だったろうと思う。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]