「カゲ」といえば、私達は本町の方をカゲといった。私は子供の頃、カゲという
のは「町」のことをいうのかと思っていたが、お互に山を境にて反対側をカゲとい
っていたようだ。要するに「山の陰」だ。
そのカゲで思い出したが、私達が子供の頃、鉱山事務所の前に、市日が立った。 14日とか23日か日が決っていた。それは鉱山の賃金の支払日とか内払いの日であっ た。坑外の人の賃金支払日は翌月10日、坑内は14日、内払いは坑内外とも23日であ ったか、別々であったか定かでなくなった。内払いとは普通いわないで「定額」と いった。それは月の何日から何日までの間に、何日働けば何割内渡しをするという もので、その日の何日前(日は決っていた)までに労働課(課の名称もいろいろ変 っているので、わかりやすく労働課としておく)の判座(労務者の賃金計算などを する係)に申込むと、会計の窓口からお金をもらった。職員はいわゆる月給なので、 その月分はその月の20日が給料日であった。労務者(いろいろ変って、最後は鉱員 といっていた)は日給で、昭和33年頃坑内外とも支払日は翌月10日に統一された。 事務所前の市日は、昭和14年頃までで、その後は下の方(町)に移ったという が、なにせ5〜60年も前のことなので、みんな記憶が曖昧、こうしたことは今後の 宿題としておく。 私達の親達は、市日の日には、大ていシラシメ(食用油)の入った1斗缶(18リ ットル入)を横長に、1ケ所切り取ったのを背負って買い物に行った(缶は、魚な ど汁(ツユ)の出るものを入れるため)。市日に行ったり町に買い物に行ったりす ることを「町ヅギァ」に行くとも言ったようだ、町を使う、正にそのとおりで、町 は自分達のもの。ただ花輪あたりに行くと、商家はいわゆるエッキィかた(大きい 方)で、一般庶民は頭を下げて、売って下さい、という感じだったと思う。今でも 殿様商法だ、接客態度が悪いということがある。 ともあれ私達は、その帰りを楽しみに待っていたものだ。おみやげといってもせ いぜい1銭に2ツくるアメ玉か、リンゴくらいのものだったが、リンゴといっても 今のように種類が豊富ではなく、マンコ(満紅 − 紅玉)とか雪の下(国光)だっ た。 |