下タ沢会によせて(覚書)

下タ沢の家

 ところで、その下タ沢に私達が子供の頃、家が何軒あったろうか。上みの方から 数えると、隆男さんの家、悦子さんの家、(その前は勝山要助?さんという人がい たが、昭和に入って間もなく移って行った)、アワの家(といったが、なぜアワな のかわからない、吉沢ミノといったような気もする、一人で暮らしていた。私が小 学校の4〜5年の頃、私達と同じくらいの年でトシ子さん(といったと思う、どんな 字を書いたかしらないが)という女の子が1〜2年いたと思う。一緒に学校に歩いた 記憶もないので、夏休みとか冬休みにきていたのかもしれない。また海軍に行って いる兵隊さん(下士官)がいて、休暇ででもきていたのか、縁側かで琵琶を引いて いるのを、通りがかりに聞いた記憶がある。)、それから昇さんの気、真佐博さん の家(高橋陽太郎さん同居)、信雄さんの家、幸子の家、義夫の家、私の家、芳一 さんの家、照男さんの家、安雄さんの家、トヨ子さんの家、と13軒あったことにな る。私達はその家を呼ぶのに、その家の子供の名前で呼んだ、例えば上みの澤出さ んの家はエッチャンの家(エ)(本当は一郎なので、イッチャンにならなければな らないが、私達はイチをエチともいうので)、内田さんのところはマサッコの家、 という具合に。私の家は、テッコの家だった。私の名前は茂夫なわけだが、下タ沢 ではいつまでたっても、テッコだった。いまだにそうだ。だから下タ沢の人達は、 茂夫といわれてもピンとこない。誰だっけ、となってテッコといわれてはじめて、 ああそうか、となると思う。

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