その鐘が2年程前から、鐘がすっぽりはいるりそうな立派なリンズの座ブトンに
座っている。お尚さんが買ってくれたのかなーと思っていたら、去年(平成12)お
盆の墓参りに行った帰り、例年にように正昭のところに仏さんを拝みに寄ったとき
(正昭の母は私の姉になっている)、何んの話しからであったか忘れたが、正昭の
奥さんが、あのリンズのフトンは森右衛門(正昭の家の大本家)の家の奥さんが寄
付してくれたものだ、といっていた。どんないきさつがあったかわからないが、森
エ門(通称)の家の奥さんは、下タ沢にきたこともないだろうし、ただ私達と菩提
寺が同じだというだけだが、これも仏さんの縁につながる有難いことだと思ってい
る。我が家のカーチャンが作った赤い小さい座ブトンは、大きな新しい座ブトンの
中に敷かれて、鐘を守っていた。
この下タ沢のお寺は、戦後素人演芸会が盛んに行われた頃、その練習の場にも使 われたとか聞いたこともあるが、皆さんもお寺に関することのみならず、下タ沢で の思い出、行事、生活なんでもおぼえていることを教えてもらいたいと思う。私は 終戦前後の一番大事なときというか、苦しいときというか、その頃兵隊に行って (昭18/1〜23/12)、肝腎なところがすっぽり抜けているので、是非皆さんの思い出 を聞かせてもらいたいと思っている。 ともあれ下タ沢の仏さん(仏像)も地蔵さんも鐘も、バラバラになることもなく、 三ツそろって同じお寺にお世話になることになって、本当によかったと、更めて思 っている。初めから計画したことではなく、自然とそういう結果になったわけです が、仏縁という言葉があるかどうか知らないが、そうした糸に結ばれていた。そん なことを思っている。 地蔵さんを移したときの話しにも一寸ふれましたが、それぞれの事情によって、 皆さんはよそに移って行かれた。それにともなって、お墓なども菩提寺などに移さ れた。私達(相馬家)も尾去の長泉寺に移しましたが、それは昭和42年で、一番遅 かったと思っている、ということで、一番遅くまで下タ沢にいたということにもな るので、そういう私達がどこにお願いするかとなれば、一番お願いしやすいのが自 分達の菩提寺となる。ということで、このことについても皆さんのご了解をいただ きたいと思っている。 やがて下タ沢に生れ育った私達もいなくなり、世代も子供、孫に移って行くにし たがい、下タ沢というのも過去の中に消えて、人々の心の中からも、遠のいて行く だろう。が、この仏さんも地蔵さんも鐘も、下タ沢という部落がなくなっても、こ のお寺と共にいつまでも大事にされて行くだろうと思い、永代供養ではないけれど も、チャンとやりましたよ、と皆さんと一緒に先祖の人たちにも報告できる、そん なことを思っている。 |
長泉寺 |