7月になると七夕だが、私達が子供の頃というか、下タ沢では何にかやったろう
か。七夕として、特別何にもしなかったような気がする。
お盆になると、仏さんを飾る花を取りに行かされた。上みのガニコ沢あたりによ く行った。萩、オミナエシ(粟花といった)、キキョウなど、キキョウは1〜2本取 ったことはあるが、あまり、というかほとんどなかった。 お盆になると、新しい下駄を買ってもらうのが楽しみだった。小さい頃は、13日 のお墓参りには着物ッコきて、帶ッコ、チョコンとしめて、新しい下駄をはいて行 った。お墓に上げたものは、そこで食べるのはよいが、持って帰ってはいけないと いわれたので、お墓にいるうちに好きなのを選んで急いで食べた。 今はお墓に物を上げないでくれ、といわれている。環境問題がうるさくなって、 ゴミとして勝手に捨てるわけにもいかず、処分するにはいわゆる産業廃棄物扱いで、 料金をとるとか。上げた物は、お花だけ残して持ち帰ってくれといわれる。そのお 寺によって若干の違いがあると思うが、私の家のお寺は尾去の長泉寺だが、上げる 物はスーパーのトレーなどの適当な大きさのものに入れて行って、拝むとその場で 少し食べて、後はそのまま持ち帰るようにしている。縁起というかいろいろ考え方 もあると思うが、お盆には仏さまは家に帰ってくるというから(わが家では迎火は たかなかった。皆さんの家ではどうだったろう。)、一所に帰ってきて、また一所 に食べよう、ということにしている。 何にかあると、よくつくってもらったが、お盆にオコワ(赤飯)はつきものだっ た。どこの家にもコシキ(甑。円筒形の桶、底に蒸気を通す丸い穴があり、それを ワラをタワシのように丸めて、ふさいで、米がこぼれ落ちないようにし、ワラの間 から蒸気が吹き出す。)があって、オコワをふかした(もちろん餅をつくときも使 った)。そしてお盆といえば、テンだった。天草を買ってきて、自分の家でせんじ た。同じ天草を2〜3度繰り返してせんじたのか、一番せんじとか、二番せんじとか いっていた。私の家では、桶に大きいザルをのせて、その上にカヤをしいていた。 せんじた天草の汁がザルの目をつまらせないように、また、こした汁の中に天草が 入らないように、いったんカヤでこしていたのだろう。せんじたテンの汁がさめて、 固まると包丁を入れて、寒天のように切った。どこの家にもテンツキがあった。今 ではトコロテン(心太)として年中売っているが、私達が子供の頃は、お盆でない と食べられなかった。オコワもテンも、少し固かったり、やわらかかったりで、そ れぞれの家の味があった。それに干カスベ、干タラ、この4ツがお盆のごちそうの 定番のようなものだった気がする。今でもこの4ツを食べている。 お盆の16日は仏さんを流す日だった。仏さんに飾ってあった花やお供物をスダレ にくるんで(仏さんやお墓のお供物を上げるときは、ヨシで編んだスダレにハスの 葉をしいた)、定雄さんの家の後ろの赤ダシの端じっこの、川をはさんで斜め向の 川原でもないが少し広い平らなところがあったので、そこに流した(置いてきた)。 ハシカやイモッコ(種痘)がほしけて直ると、お祝?に赤飯をつくってサダラ (米俵の蓋)の上に赤飯のオニギリ2ツ(だったと思う)と、外に何をのせたかお ぼえていないが「ワラジ銭コ」といって、1銭か2銭そえてお盆と同じように流した。 今はイモッコ流すなどということもなくなったが、厄(やく)を流す、わざわいを 流す、といったことだったろう。 お盆の仏さんを流すにしても、持って行くところがないので、16日に仏さんを外 すと、家の後ろに置いて、頃合いを見て、そっと焼いている。今は家のまわりでゴ ミを焼くことも禁じられているが、さりとて燃えるゴミとして捨てる、そこまでま だ割り切れないので。 二十日盆、といっても何にをしたのか全然おぼえがない。ただ子供の頃、私の父 は花輪だったので、花輪の二十日盆を見に行く、といって何度か連れて行ってもら ったことがある。それが花輪の産土(うぶすな)さんといわれる幸(さきわい)稲 荷神社の祭礼なことも、花輪ばやしがどうの、ということも知らず、二十日盆とい うのは花輪のおまつりっこのことだと思っていた。 先にイモッコが「ほしける」と書いたが、今の子供達は何んのことかわからない だろうな、と思った。要するにホシケルというのは、「なおる」ことだが、グチャ グチャしていた吹出物などが次第にかわいてなおっていき、「カサ」のように固く なって、最後は剥がれて取れる。子供の頃、イモッコ植えられると、イモッコが出 てくると根がはって痛く、次第になおってくると痛たがゆくって、むずがゆくって、 なおるのが待たれるものだ。 ………(種痘の説明) ホシケルとは「秋田のことば」によると、腫れものなどが良くなる。「ホシ」は 乾燥を意味する語であろう。湿疹などが消えるのは、乾いた状態だと考えられたの であろう。化膿した傷が良くなるのもこの類、と。 |