下タ沢会によせて(覚書)

ミソ豆はうまかった

 さて、話しは春から秋にとんだが、今度は夏にもどることにする。といっても本 当のところ、春だか夏だか忘れたが、6月の歯固めのことで、ミソをつくのを思い出 した。炒った豆か煮た豆かの違いがあるにせよ、ミソをつくるのは6月頃だったよう な気もする。小さい頃は、自分の家でついていたような気もするが、記憶にあるの は場所場所といって遊んだあの広場に、大きな釜を据え付けて、代り番んこにミソ 豆を煮ていたことだ。ほどよく煮えた頃(ミソにつく前の少し固めの頃)、重箱に 詰めて少し塩をふりかけて「今日はオラエのマメッコ、クテクダエ」と隣近所に配 った。今は何んでも砂糖、砂糖だけれども、物の本当の味は、塩で生きてくる。ま だ熱いあの豆に塩をふりかけて食った味は忘れられない。今の子供達は本当の食べ 物の味を知らない、というのは負けおしみだろうか。

 さて、豆がやわらかく煮えると、臼でついてミソ玉という円錐形の玉をつくった。 形は違うけれども普通の南瓜くらいの大きさか、それを家の板の間にむしろをしい て(しいたと思う)ならべた。何日かすると白いカビがいっぱい生えてくる。頃合 いをみて塩を入れて(コウジも入れたと思う)、またついて大きな樽に仕込んだ。 つくり方が若干違うようで、北秋田というか、別所の方からくる人達のミソは黒か った。玉ミソとかいっていたような気がする。

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