下タ沢会によせて(覚書)

ハチ公は鹿角出身 − シロも大館にとられるな −

 さて、渋谷のハチ公の話しだが、話しそのものは皆さんご存知のとおりなので省 略するとして、ハチ公は鹿角生れだ、という話し。

 参照:「忠犬ハチ公」

 「鹿角のあゆみ」(昭和44年7月刊、それまで鹿角郡社会科資料として出していた 「鹿角の歴史」をまとめたもの)によると、次のように書いている。  「渋谷駅、大舘駅頭の忠犬ハチ公の出生について、花輪町小野寺勝蔵の研究によ ると、下草木柳舘吉弥先代富太郎が中草木黒沢岩次郎に白牝犬を一匹分け、それか ら生れた二匹の子のうち一匹を、弟勇次郎が大湯に下宿の測量技師斉藤某におくっ た。それを当時中通耕地整理を担当していた間瀬農務課長がもらい、恩師である 東京農大(東京帝大?)教授上野博士におくったのが、ハチ公である」

 という次第だが、下草木の柳舘吉弥さんという人の家には、マタギに関する免状 とか、山立系図などというのが伝えられているというから、代々マタギを業として きた家で、猟犬として秋田犬を飼っていたものと思われる。

 私が先に切りタンポもトンブリも、よそにとられてしまったと書きましたが、今 は忠犬ハチ公も大館生れ(と何かで見たような気がする)となって、大館駅前の銅 像となってしまった。佐多六のシロも最後は葛原で死んで、老犬さまとして崇めら れている。モサモサしていると、佐多六とシロの話しも、よそにとられてしまう。 私がアニメにでもして世に紹介してほしいと願う由縁の一つもそこにある。

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