下タ沢会によせて(覚書)

山の神さま − 山子(やまご)のはなし −

(平成3年刊、野添憲治著「〔聞き書き資料〕秋田杉を運んだ人たち」から)  春になると山子(杣夫)の生活は、飯場づくりからはじまった。それが終わると 親父(おやじ、営林署の係員)や山子の主だった人が集って、山の神様の置くとこ ろを決める。できるだけ飯場の近くで、神様が座っても荘厳で、なるほど神様がい てもおかしくないような場所を選ぶ。大きな木を神様にする場合もあったし、大き な岩のこともあったが、たいていの場合は老木を山の神にすることが多かった。場 所が決まれば、木を切って鳥居をたてて、御幣を刻んで、神様の入るお堂は仁鮒の 大工につくってもらい、奥においたもんだ。御幣を入れる神棚も大工につくっても らったものだ。それから山に入ったわけだ。昔の人たちは、山の神様は、うんと大 切にしたもんだ。

 さて、山の神様のお祭だが、山の神はほとんど12月24日にやるが、仁鮒の場合は 春は4月12日、秋は10月12日、時間は春は午後6時から、秋は午後5時からとなってい るが、だいたい30分くらいは遅れてはじまったという。これを話した人は、いつの 頃からかわからないが、21人で講をつくっていたという。毎年3人が当番になり、そ のうち1人が当番宿になったという(この人は話の区切りに、○○○もんだス、とい うように「ス」をつけているが、少し繁雑な気がするので除いて書いてゆく)。

 当番にあたると、まず酒造りからはじめたもんだ。講の家を回って、1軒から米1 升ずつ集めて、それで酒を造り、山の神の日に当番の家に運んだものだ。酒といっ たって、みんなドブロクだ。酒造りも三軒の当番がやったが、料理も山神祭の準備 も、3人の男と女たち3人でやったものだから、大変なものだった。宴会に出す料理 といえば、焼魚(どういう訳か知らないがキンキンと決っていた)、ダマコモチ (ニワトリを2羽から3羽殺した)、煮付け、漬物、ドブロクの5品と決っていたが、 当番の家によっては、1品くらいは多くつけるときもあった。3人でこれをやるもの だから、当日は目がまわるくらいに忙しがった。

 山神様の準備だが、まず当番の家には「大山神」という字が染めぬかれた大きな 旗を建てた。この旗が風でバタバタ鳴ると、いかにも山神祭になったなという気持 になったものだ。それから床の間に山神様の掛図を掛けたものだが、講ごとに掛図 を持っておった。山神様の掛図を掛けると、その座敷には女の人を絶対に入れなが った。女の人が物を持ってきても、障子の外で男の人が受け取って、座敷に入れた ものであった。これは、うんときびしく守ったものだった。
 それから山の神様に供える物も、みんな男の手でつくった。供え物は決っていて、 フキかワラビか大根の煮付け、なます、でんぶ、シトギモチ(生米を水にひたし、 それを粉にしてからつくった生のモチ)、塩であった。男の人たちも馴れているも のだから、結構うまくつくったものだ。

 だいたい準備が出来たところに、講の人たちが来るわけだ。全員が揃うと、もち ろん女は入れないで、神事をやったものだ。神官は呼ばないで、馴れている人が進 めたり、みんなを払ってやったものだ。式の進め方としては、代表者(当番宿の主 人がやった)が山神様の掛図に向って立って拝み、それにみんなが合せて拝んだも のだ。はじめに二回礼をしてから二回手を叩き、また礼を一回して終りだった。そ れからみんながお膳につき、御酒とシトギモチと塩をいただいたが、これは当番宿 の主人が順々に配ったものだ。御酒をいただく盃にも「大山神」と書いてあったも のだ。これが終ると、神事のいっささいが終ったことになるわけだで、山神様の掛 図も床の間からはずしたわけだ。そうすれば、女の人も座敷へ入るによかったわけ だ。昔は、山の神様といえば、ほんとにありがたくやったものだ。あとはもう、夜 遅くまで酒を飲んだものだども、この時は営林署の旦那も呼ばなかった。講の人た ちだけで、やったわげスな。

 ということで、二ツ井仁鮒の人達の山仕事に入るとき、里にいるときの山の神さ まのことについて書いたが、今度は山で獲物をとるマタギの話し。これは少し古く なったが、昭和37年刊行の戸川幸夫著「マタギ − 狩人の記録 − 」という本の阿 仁のマタギの話しからのヌスミ書き。
 この作家はもう亡くなっているかもしれないが、何年か前の朝日新聞だったと思 うが、私の大事にしている本ということで、ロシア人作家H・バイコフの「偉大なる 王」の初版本をもっているということだった。その本なら俺も持っている、と古ぼ けてボロボロになりかけた本を出してみたら、残念でした、第三版、稀少価値なし、 となった。この本は北満の密林に住む満洲虎の一生を書いたもので、昭和11年 (1936)に発表され、「満洲日日」にも連載されていたというが、昭和16年(1941) 3月文芸春秋社より発行され、5月に第三版が出ている。当時非常に好評で、新聞な どで宣伝されていたと思うので、つい買ったのだろうと思う。鉄が鐵で、円が圓の 時代の本なので、今の若い人達には読むのが難儀だろうと思う。
 マタギの話しをするつもりが、虎の話になってしまったが、その戸川幸夫のマタ ギの本によると、(以下次項へ)

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