下タ沢会によせて(覚書)

澤出春吉さんの頌徳碑と梨の木のこと(抄)

 この「場所」といわれたところに、澤出春吉さんの頌徳碑が建っていた。私が高 等科の頃だったと思う。

 この頌徳碑はその後、私の家があったあたりの近くに移されているが、それは昭 和40年の半ば頃、下タ沢に砂防ダムができることになったためである。ダム(堰堤) 建設の場所は、相馬与七郎の家の上みあたりである。

 碑には、どんなことが書いているのか、澤出昇さんに問い合わせたが、特別書い てなかったということでした。  今回の下タ沢訪問にあたっては、米村組(社長米村修一)の営業部長内田正栄 (下新田、内田家の本家正一さんの息子)さん、川上仁(中新田、川上巳代治さん の息子)さんにいろいろお世話になり、感謝している。

 ところで梨の木のことであるが、私達が今回下タ沢に行って、マイクロバスを止 めたところに梨の木があるのを気付いた人もあると思いますが、おの梨の木は、幸 子の上みの畑の道路ぎわにあった木で、十年くらい前までは、まわりの木も少なく て目立っていましたので、下タ沢もダムをつくるなど地形も変ったので、一つの目 印として立札などを立てておこうかと、など思いましたが、今はまわりの木も大き くなって、雑然として目立たなくなってしまった。いつかまわりの木を切って、す っきりさせたいなどと思っている。

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